私たちは、地球上の生命を揺るがせる大事件を3つ取り上げ、その全貌を明らかにします。
1962年のキューバ危機、1983年の核兵器攻撃誤報事件、そして同じ1962年に起こった沖縄基地のメイスB誤射未遂事件。
これらは、人類が滅亡の淵に立たされた歴史的瞬間です。
地球上の生命を揺るがせた大事件
キューバ危機
1962年に発生した「キューバ危機」は、冷戦の最中、米ソ二大超大国が直接対決した歴史的瞬間です。
この事態はソビエト連邦(現在のロシア)がアメリカのバックヤード、キューバに核ミサイル基地を建設したことから始まりました。
この行動はアメリカを大いに不安にさせ、一触即発の状態が生まれました。
アメリカはソビエト船舶をキューバへ向かう途中で封鎖し、海上封鎖線を設けました。
この行動は事実上の戦争行為とされ、一時は全面的な核戦争の可能性さえ囁かれました。
キューバ危機は13日間続きましたが、この間世界中が息をのむ緊張状態に陥りました。
最終的に、両国の指導者たちは危機的状況を解決するための交渉を開始しました。
ソビエト連邦がキューバからミサイルを撤去する代わりに、アメリカがキューバへの侵攻を保証しないと約束することで合意に至りました。
この交渉結果が世界を核戦争から救い、人類が滅亡の淵から一歩引き返すことを可能にしたのです。
核兵器攻撃誤報事件
1983年の「核兵器攻撃誤報事件」は、冷戦の緊張が高まっていた時期に起きた、人類が核戦争に突入しかけた恐怖の一夜を描いたエピソードです。
ソビエト連邦(現在のロシア)の早期警戒システムが、アメリカからの5発の核ミサイル発射を誤って検出したのです。
しかし、この時、システムを監視していたスタニスラフ・ペトロフ中尉は、これが誤報である可能性が高いと判断しました。
実は、その日、彼の任務は、ミサイル攻撃を確認したら上層部に報告することでした。
しかし、ペトロフはシステムの誤動作を疑い、反撃の命令が下される前に誤報であると報告したのです。
彼のこの判断が間違いであれば、ソビエトは時間を失い、アメリカの核攻撃から守ることはできなかったでしょう。
しかし、彼の冷静な判断が正しかった。
システムは誤報を出していたのです。
ペトロフ中尉のこの英断により、おそらく世界は核戦争という惨劇から救われたのです。
彼の判断は一人の兵士が全人類の運命を左右することができる、という事実を示しています。
メイスB誤射未遂事件
「メイスB誤射未遂事件」は1962年、日本の沖縄にあるアメリカの基地で起こった、恐ろしい誤操作による事件です。
冷戦時代、沖縄にはアメリカの核ミサイルが配備されており、当時この地域は緊張感に包まれていました。
この事件は、一人のアメリカ軍兵士が誤って核ミサイルの発射ボタンを押し、実際にミサイルが発射される寸前になったときに起こりました。
彼は核ミサイルを誤って発射するほどの重大なミスを犯したのです。
しかし、幸いなことに、ミサイルの発射は最終的に阻止されました。
発射手順の最後のステップは、二人が同時にキーを回すというものでした。
一人が間違ってキーを回したとき、もう一人の兵士がそれを止め、大惨事は回避されたのです。
もしもその兵士が彼の同僚を止めなければ、核ミサイルはアジア全体を破壊する可能性がありました。
この事件は、核兵器の危険性と、それを取り扱う人間の責任について、我々に深く考えさせるものとなります。
まとめ
これらの事件を通じて、我々は、人類が滅亡の危機に瀕した瞬間における、政治的判断、個々人の勇気、そして危機管理の重要性を再認識します。
歴史を学ぶことで、我々は未来の危機を回避するための知識と洞察を得ることができるのです。
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