はじめに、昔から囁かれてきた明治天皇すり替え説について語る前に、我々は一つの事実を理解しなければならない。
それは、歴史とは、多くの場合、公に語られる物語以上のものであり、謎と謀略に満ちた未解明の部分が存在するということだ。
そして、今回我々が探求する物語は、明治時代とその象徴である明治天皇を中心に展開される、その一つの未解明の謎である。
明治天皇すり替え説は本当か?
画像出典|Wikipedia
明治天皇、またその名前で知られる明治維新は、日本が封建時代から近代国家へと脱皮するきっかけとなった歴史的な出来事である。
だが、その中心にいたはずの明治天皇自身が実は暗殺され、都合の良い人物にすり替えられたという説が、何世紀にもわたり囁かれてきた。
孝明天皇が慶応2年(1867)に急逝した後、その息子である明治天皇がわずか16歳で即位した。
しかし、その即位を巡る一部の議論は、日本の歴史上、最も重要な瞬間の一つがどれほど曲がりくねったものであったかを暗示している。
フルベッキ群像写真
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これらの疑問は、特に注目されるのはオランダ宣教師フルベッキが撮影した写真。
その中に写っている一人の人物が明治天皇に酷似しているとされていることによってさらに謎が深まる。
のちに、この写真は幕末の志士たちの写真ではないか?と言われるようになりました。
そこには、明治天皇と思わしき人物が映っている。
しかし、その顔つき、その姿勢は、私たちが伝統的に明治天皇として知っている人物とは異なる。
この一見すると些細な違いが、暗殺とすり替えという衝撃的な説を生む糸口となったのである。
一方で、この説を裏付ける証拠は限られており、反論も多い。
例えば、すり替えが行われたとしたら、皇室や側近貴族がすぐに気づくはずだという意見がある。
しかし、当時の動乱期に16歳の天皇は危険だと思われ、維新を進めるためにすり替えが行われたという考え方もある。
ただし、すり替えが行われたとしても、その事実を確認できる人は少なかった可能性がある。
この議論の中でも特に重要なのは、明治天皇の学友であり友人であった西園寺公望が何も言っていなかったという事実で、彼が何も言及しなかったことは、このすり替え説を否定する重要な証拠とされている。
以上のような情報を考慮に入れると、「明治天皇すり替え説」はあくまで一つの仮説であり、その真偽を確定するには十分な証拠がないと言えるでしょう。
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