知ってましたか?かつて日本にも貴族階級が存在していたんです!
その名も「華族」、今回は、そんな華族の実態について詳しく紹介します。
日本に存在した特権階級「華族」とは?
華族とは?
華族は、明治2年から昭和22年まで存在した、天皇に次ぐ高貴な身分の総称です。
幕末の混乱を経て明治時代に突入した日本は、西洋のような近代国家を目指し、藩から県への改編「廃藩置県」を実施しました。
これにより、藩主や公家などの元貴族たちは、新たに設けられた華族制度のもとで「華族」となりました。
華族の特徴
■ 爵位制度
華族は「公爵」「侯爵」「伯爵」「子爵」「男爵」という5つの爵位に分けられました。
この爵位は収入や家柄によって決まることが多く、爵位が高いほど社会的な地位も高くなりました。
また、日本の発展に大きく貢献した人などに、華族の称号「勲功華族」を与えていました。
例えば、伊藤博文は、お国の功労が認められ、その功績により華族となり「新華族」と呼ばれました。
■特権
華族には様々な特権がありました。
例えば、民事裁判に出頭する義務が免除されたり、財産が差し押さえられない「世襲財産」が認められたりしました。
また、貴族院という議会の一部を構成することで、政治にも深く関与していました。
■教育とマナー
華族の子供たちは厳しいマナーと教育を受けました。
明治10年には、華族のための学校「学習院」が設立され、軍事教育や政治、馬術や文化について学びました。
女性は「華族女学校」で花嫁修行を受け、結婚後の家庭生活に備えていました。
華族の家の、お嬢様には教養を身につけさせるべく、たくさんの習い事を習わせていました。
ピアノや習字に茶道、華道…などなど…「良い家に嫁がせるために必要な教育」とされていたんです。
■意外な華族の実態
華族といえば、豪華絢爛な生活をイメージするかもしれませんが、実際には経済的に苦しい家庭も多くありました。
特に公家出身の華族は土地や資産が少なく、生活に困窮することもありました。
そのため、華族の家宝を売って生活費を賄うこともあったのです。
まとめ
華族とは、明治から昭和にかけて存在した特権階級であり、その実態は一筋縄ではいかないものが多かったのです。
彼らの生活は厳格なマナーと教育に支えられ、特権と義務の狭間で揺れ動いていました。
現代の私たちにとっては、歴史の一部として興味深い存在です。
もしかすると、あなたの先祖も華族だったかもしれませんね。
この機会に、家族の歴史を調べてみるのも面白いかもしれませんね。
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