1923年の関東大震災は、自然災害だけでなく、人間の恐怖と偏見が引き起こした悲劇も生みました。
しかし、その中には命を守るために立ち上がった勇敢な人々もいました。
この記事では、朝鮮人虐殺事件と、それを防ごうとした警察署長「大川常吉」氏について紹介します。
関東大震災後、デマと闘った警察署長
1923年9月1日に発生した関東大震災は、日本の歴史において最も大きな自然災害の一つです。
この大震災は、東京や横浜を中心に甚大な被害をもたらしました。
しかし、この災害によって引き起こされたのは物理的な破壊だけではありませんでした。
社会の不安と恐怖がデマを生み、それがさらなる悲劇を招いたのです。
震災直後、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などのデマが広まりました。
このデマは急速に拡散し、恐怖に駆られた人々は朝鮮人を標的にしました。
自警団や官憲までもがこのデマを信じ、多くの無実の朝鮮人が命を落としました。
関東大震災朝鮮人虐殺事件は、その象徴的な出来事です。
しかし、この悲劇の中で一筋の光となった人物がいました。
横浜市鶴見区の警察署長であった「大川常吉」氏です。
大川氏は、朝鮮人がデマの犠牲となり暴徒に襲われる危険を察知し、300人以上の朝鮮人を保護するために行動しました。
大川署長は、自らの命を顧みずに朝鮮人を守るための手段を講じました。
彼は暴徒に対して「朝鮮人が毒を入れたというのは根拠のないデマである」「デマを信じるな、無実の人々を殺してはいけない」と訴え続けました。
そして、疑わしいとされたビンの中身を自ら飲んで見せ、毒など入っていないことを証明したのです。
大川氏は群衆の前に立ちはだかり、次のように大声で言ったのです。
「鮮人に手を下すなら下してみよ、憚りながら大川常吉が引き受ける、この大川から先きに片付けた上にしろ、われわれ署員の腕の続く限りは、一人だって君たちの手に渡さないぞ」
これには群衆も驚き、しばらくすると代表者数名が話し合いしました。
警察が管理できずに朝鮮人が逃げた場合、どう責任をとるのか?の問に、大川氏は「その場合は切腹して詫びる」と答えたのです。
彼の勇敢な行動によって、多くの命が救われました。
また、大川署長の功績は地元でも広く知られ、1953年には彼の功績を称える石碑が横浜市鶴見区の東漸寺に建立されました。
この石碑は、彼の勇敢な行動と、人間の良心を象徴するものとして、今もなお多くの人々に語り継がれています。
関東大震災は、その後の日本社会に多くの教訓を残しました。
自然災害の恐怖に加え、人間同士の不信と恐怖がどれほどの悲劇を生むかを痛感させられました。
そして、その中で勇敢に立ち向かった人々の存在が、後世に希望と教訓をもたらしたのです。
まとめ
関東大震災は、日本の歴史において忘れることのできない大きな災害です。
しかし、その中でデマに抗い、多くの命を救った大川常吉署長のような勇敢な人々がいたことも忘れてはなりません。
偏見やデマに惑わされず、人間同士が助け合うことの重要性を再確認する機会としましょう。
以私たちは歴史の教訓を学び、未来に活かしていくことが求められます。
※参考|Wikipedia
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