東京のシンボル、東京タワー。
その美しい姿は誰もが知っていますが、その裏には知られざる職人たちの技術と命がけの努力が隠されています。
黒崎建設の鳶職人たちは、当時の限られた技術で世界一の高さを誇るタワーをたった1年半で完成させたのです。
東京タワーを建てた職人たち
東京タワーは1958年に完成し、その高さ333メートルで当時世界一の自立鉄塔として君臨しました。
しかし、その建設過程は驚くべきものでした。
クレーンがない中、黒崎建設の鳶職人たちは全ての作業を手作業で行い、地上300メートル以上の高所で、まさに命をかけて鉄骨を組み立てました。
特に有名なのが、「死のキャッチボール」と呼ばれるリベットを投げ渡す作業。
800度に熱した鉄のリベットを、20メートルも上空の職人たちに投げ渡し、それを受け取り鉄骨をつなぐという驚異的な技術が行われていました。
なんと、この作業が約28万回も繰り返されたのです。
また、彼らは現代のような安全装備も持たず、命綱もなしで風速20メートルを超える中、足場わずか30センチの場所で作業を行っていたのです。
地上では感じられない強風や悪天候にも耐えながら、彼らは1トン以上の鉄骨を人力で運び、ジャッキを使って正確に位置合わせをしながら、東京タワーを完成させました。
しかしながら、建設中の昭和33(1958)年6月に鳶職一人が突風に足元を取られて転落死し、隣の増上寺で葬儀がとり行われました。
■ 東京タワー建設についてのコメント
「この工事を死者1名でやりとげたこの人たちは少なくとも東京人は未来永劫語り継ぐべき。1人死んだから云々とか言ってる馬鹿がいるがいまの日本の繁栄の礎になった炭鉱など頻繁に起こる崩落でトータル48000人も亡くなってるし当時は子供でさえそれを受け入れていた時代。戦争経験してる世代は心根が違うのだよ。」
「名の知られていない人々によりテレビが見れるように。尊敬の念しかありません。そのTVをダメにしたのは誰なのか?」
東京タワーだけじゃない!日本のインフラを支えた黒崎建設の功績
黒崎建設の職人たちは東京タワーだけでなく、関門橋、明石海峡大橋、レインボーブリッジといった日本の主要な橋梁工事にも携わり、日本のインフラ発展に大きく貢献してきました。
彼らは、困難な環境下でも正確で迅速な作業を行い、技術の高さと職人としての誇りを持ち続けました。
特に、橋梁工事ではその技術が重要であり、精密な加工が不可能だった時代に、現場での職人たちの手作業が求められたのは言うまでも有りません。
黒崎建設の職人たちは、自らの経験とスキルを駆使して困難な作業を次々とクリアし、国内外でその名を知られる存在となったのです。
黒崎建設の技術が未来へと繋ぐもの
時代が進むにつれ、建設現場には新しい技術や機械が導入され、作業環境は安全になってきました。
しかし、黒崎建設の職人たちはその変化の中でも、自らの手で作り上げることへの誇りを失わず、後進の育成にも力を入れ続けています。
彼らが培った技術や精神は、今もなお日本の建設業界で受け継がれています。
まとめ
東京タワーを建設した黒崎建設の鳶職人たちは、まさに日本が世界に誇る技術力の象徴です。
命がけで行った彼らの作業は、今もなお語り継がれています。
また、彼らが関わった他の大規模プロジェクトも、日本の発展に大きく寄与しました。
現代の安全で便利な建設技術があるのは、彼らのような職人たちの努力と技術の積み重ねがあったからこそです。
ぜひ、東京タワーを見るたびに、その裏にある職人たちの物語に思いを馳せてみてください。
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