「世が世であれば…」なんて言葉、一度は聞いたことありますよね?
でも、これって実際どういう意味?
今回ご紹介するのは、名門華族の令嬢から、男に騙され、最終的には芸者にまで落ちぶれてしまった松平義子の悲劇的な人生。
明治維新後の混乱期、彼女がどんな運命に翻弄されていったのか、その詳細を紹介します。
華族令嬢から転落した松平義子
昔の日本では、華族と呼ばれる特権階級が存在しました。
松平義子もその一員、由緒ある家柄の令嬢として育ちました。
しかし、時代が変わり、華族の特権が廃止されると、彼女の人生も一変します。
明治維新後、父親の松平信安は藩主から転落し、家族は急速に没落。
そんな中で義子の運命は、まさに「転落」そのものでした。
父の放蕩が原因で、松平家は財産を失い、義子たちは貧しい生活を余儀なくされました。
さらに、1923年に関東大震災が襲い、一家は離散してしまいます。
普通の生活に戻ることすら叶わない中、昭和7年(1932年)、義子の元にも縁談がきました。
その男、羽賀八郎は甘い言葉をささやき、「松平家を必ず再興させる」と約束、老母は義子の意思も関係なく嫁ぐよう命令したのです。
しかし、実際にはその約束は裏切りの前触れでしかなかったのです。
既成事実を作ったとたん、態度を豹変させた八郎は、義子を騙し「落ちぶれ華族令嬢」と宣伝し、700円で京都の置屋に売り飛ばしたのです。
元華族の令嬢が、今や芸者として生きていかざるを得ない状況に追い込まれるというのは、想像するだけで胸が痛みます。
かつて贅沢な生活を送っていた彼女が、貧困と過酷な労働に苦しむ姿は、多くの人々に同情を誘いましたが、それと同時に温室育ちの御令嬢が、落ちぶれて芸妓となり「贅沢三昧していた報いだ」という冷たい目で見られることも少なくありませんでした。
そして、義子の運命はさらに過酷なものとなります。
心身の疲労で倒れながらも、休むことなく働き続けた彼女は、ある日電車に乗っていた際、電車がカーブを大きく曲がると、義子は遠心力で振り落とされ、全身をアスファルトに強打。
大怪我を負い、意識を失った義子が病院に運ばれると、離散していた兄弟、かつて松平家三代に仕えていた老臣の堤和芳(当時85歳)駆けつけ、彼女を看病しましたが、彼女の意識は戻ることなく、そのまま息を引き取ることになります。
まとめ
松平義子の人生は、時代の波に翻弄され、華族から芸者へと転落していく悲劇の物語です。
彼女が生きた時代背景や、家族との絆、そして厳しい運命に立ち向かう姿には、多くの教訓が含まれています。
「世が世であれば…」という言葉が示すように、もし彼女が違う時代に生まれていたならば、彼女の人生はどのように違っていたのでしょうか。
松平義子の人生は、現代を生きる私たちにとっても、深く考えさせられるものがあります。
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