東京の中にも、実は「入ると祟りがある」と言われる神秘的な場所があるのをご存知ですか?
その場所とは「新田神社」。
歴史や伝説が残る東京23区内で、まさかこんな禁足地が存在するとは驚きです。
今回は、新田神社とその背後にある恐ろしい噂、そして新田義興にまつわる歴史、いったいなぜこの場所が祟りの地とされているのか?を紹介します。
新田神社(大田区)が禁足地の理由
- 主祭神|新田義興公
- 創建| 正平13年/延文3年(1358年)
- 所在地| 〒146-0093 東京都大田区矢口1丁目21−23
東京都大田区にある「新田神社」は、戦国時代の武将・新田義興を祀った神社です。
この神社は、観光地としてはそれほど知られていませんが、地元の人々や歴史ファンにとっては非常に重要な場所とされています。
東京23区内にあるにもかかわらず、自然に囲まれた静かな雰囲気が特徴的で、参拝者はその神秘的な空気感に圧倒されることも少なくありません。
神社の歴史は非常に古く、鎌倉時代の末期にさかのぼります。
新田義興は、鎌倉幕府を倒すために立ち上がった新田義貞の息子として知られ、父の志を受け継ぎ鎌倉幕府打倒を目指しました。
しかし、義興は謀略によって殺され、その無念がこの地に残ったと言われています。
新田義興
新田義興(にった よしおき)は、父・新田義貞の志を継ぎ、武士として鎌倉幕府打倒に挑んだ人物です。
鎌倉幕府滅亡後、義興は北朝に仕えながらも南朝側とも接触し、独自の立場を保ちながら活動を続けました。
しかし、彼は非業の最期を遂げます。
義興は謀略によって武蔵国(現在の東京都)で襲われ、無念の死を遂げたと言われています。
この死が、新田神社と深く結びついているのです。
義興の死後、その怨霊がこの地に祟りをもたらすとされ、彼の魂を鎮めるために祀られたのが新田神社です。
入ると祟りがあるとされる「御塚」
新田神社の境内には、「御塚」と呼ばれる場所があります。
この御塚こそが、訪れる者に祟りをもたらすとされる禁足地です。
地元の人々の間では、この場所に足を踏み入れると不幸に見舞われると言われ、恐れられています。
御塚は、新田義興の遺骸が埋められたとされる場所です。
義興の死後、彼の無念が地中に残り、その魂が成仏せず、祟りをもたらすと信じられてきました。
特に、無闇にこの場所に入ると、その祟りが現実のものとなるとされています。
実際に、過去に御塚に入った者が不幸に見舞われたという噂が絶えず、地元の人々はこの場所に対して非常に慎重です。
参拝者は御塚の周りを静かに歩き、その場所を尊重しつつも決して中に足を踏み入れないよう心がけています。
このような禁足地が東京23区内に存在するという事実は、都会の喧騒とはかけ離れた不思議な感覚を呼び起こします。
まとめ
新田神社は、ただの観光スポットではなく、深い歴史と謎めいた伝説が絡み合った特別な場所です。
新田義興の怨霊とされる「祟り」がいまだにこの地を守り続けているという言い伝えは、地元の人々に恐れられながらも尊重されています。
歴史に興味がある方、あるいは神秘的な場所に惹かれる方は、ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか?
ただし、御塚には十分注意して、安易に立ち入らないよう心がけましょう。
この地に宿る歴史と怨念が、今でも息づいていることを感じられるかもしれません。
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