インド洋に浮かぶ「トロムラン島」モーリシャスの東約450kmに位置し、周囲3.7kmしかない小さな砂だけの無人島です。
絶えず強風にさらされているため木々も育たず、標高わずか7mのこの島は、まさに荒野。
何もないこの地で、ある集団が15年間も孤立状態で生き延びたという驚くべき実話を紹介します。
砂の島トロムラン島の悲劇
1761年、フランス東インド会社の船が、マダガスカルで奴隷160人を密売するために出航。
奴隷貿易が禁止されていたので、船長は少し遠回りするルートで出発しました。
しかし、途中で船が大嵐に巻き込まれて難破してしまい、たどり着いたのが無人の砂島「トロムラン島」だったのです。
船底に閉じ込められていた屈強な奴隷の男性たち100人とフランス人20人が命を落とし、生き残ったのは奴隷の女性や子どもたち60人でした。
彼らは、サバイバル知識のあるフランス人船員に頼りつつ、船の残骸や持ち出した食料、道具を駆使し、荒野の島で生き延びる術を模索しました。
2ヶ月後、フランス人たちは船を組み立て島を脱出することに成功しますが、置き去りにされた奴隷たちには「すぐに救助に来る」と少量の食料と共に伝えただけでした。
そして、その後の戦争や政治的な理由から救助は長期間行われず、彼らは約15年もの間、過酷な無人島での生活を余儀なくされました。
当時のモーリシャス(フランス島)の総督は奴隷の救助要請を拒否しましたが、その理由は単なる人道的配慮からではなく、英仏の植民地戦争の中で奴隷を増やすことへのリスクが大きかったためだったのです。
長い長い15年間のサバイバル生活
島に残された黒人奴隷たちはどんな生活をしていたのか?
後の考古学的な調査で、彼らが残した痕跡からその過酷なサバイバルの様子が明らかになっています。
生き残るために、井戸を掘って飲み水を確保するなど、なんとか自給自足の体制を整えようとします。
島には食料になる動物もほとんどいないし、唯一手に入るのは鳥やカメ。
彼らは生き延びるために捕まえた鳥やカメの肉を食べ、さらに干物にして保存し、少しずつ栄養を摂っていました。
当時の調査によると、生存者たちが15年間に捕まえた鳥は9万羽、カメは400匹ほど。
魚も少し捕まえたようですが、島には釣りに適した船や道具もないので、魚の捕獲はあまりうまくいかなかったようです。
また、彼らは珊瑚を使って住居を築き、わずかな道具で調理や生活をしながら、生き延びるための工夫を凝らしていたことがわかっています。
さらに、島はサイクロンが頻発する場所でもあって、時には風速280kmの暴風に襲われたことも。
焚き火すら起こせないこの状況で、彼らがどうやって耐え抜いたのか本当に不思議です。
生き残ったのはたった7人の女性と赤ん坊
15年後、やっとのことでフランス海軍が救助隊を派遣し、島に取り残された生存者を発見します。
でも、もはや生き残っていたのは7人の女性と1人の赤ん坊だけでした。
彼らがどれだけの困難を乗り越え、この小さな砂の島で希望を持ち続けたか、想像を絶するものがありますね。
トロムラン島事件が示す「歴史の闇」
この事件が明らかになったのは、近年になってからのことです。
フランスの科学者たちが島を調査し、この悲劇の真相を掘り起こしました。
そして、残酷な奴隷貿易の歴史とフランスの過去の行いに対する批判が、現代のフランス人たちにも改めて認識されるようになったのです。
島に残された赤ん坊や生存者のその後の運命については記録が少なく、多くの謎に包まれていますが、歴史的にも重要な出来事として語り継がれています。
まとめ
トロムラン島の事件は、歴史に埋もれてしまった悲劇的な出来事です。
しかし、近年の科学的調査により、彼らの過酷なサバイバル生活が明らかになり、私たちは彼らの努力と希望に敬意を抱くことができるようになりました。
人類の歴史には、時に目を背けたくなるような暗い部分もありますが、こうした真実を知ることで、過去から多くの教訓を学ぶことができるのかもしれません。
現代の視点から見ても、この事件は単なる過去の話ではなく、命の尊さとサバイバル精神を改めて教えてくれるものです。
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