今では誰もが知る国民食・カップヌードル、実は発売当初はまったく売れなかったことをご存じでしょうか?
そして、その普及の裏側には、自衛隊や警察といった現場の人たちの存在がありました。
カップヌードルは最初は売れなかった
カップヌードルが誕生したのは1971年、発明したのは日清食品の安藤百福氏です。
しかし、この商品は発売直後からヒットしたわけではなく、むしろ真逆でまったく売れませんでした。
当時の袋麺は25〜30円程度だったのに対し、カップヌードルは1個100円で約3〜4倍の価格です。
今では信じられませんが、カップヌードルは高すぎて売れない失敗作寸前の商品だったのです。
そんな中、日清の営業が目をつけたのが一般家庭ではなく団体需要、警察、消防、工事現場、そして自衛隊、短時間で食事を済ませる必要がある現場です。
お湯さえあればすぐ食べられる、洗い物も不要、保存もきく、この特性が過酷な現場で働く人たちに支持され始めます。
つまり、カップヌードルを最初に受け入れたのは、一般の家庭ではなく現場のプロだったのです。
テレビが映した一杯が日本を変えた
カップヌードルの運命を変えたのは、1972年のあさま山荘事件でした。
日本中が注目したこの事件で、極寒の中、機動隊員が食べていたのがカップヌードルです。
その様子がテレビで全国に流れ、「お湯を注ぐだけで温かいラーメンが食べられる」当時の人々にとって、それはまさに未来の食べ物のように映りました。
ここから一気に状況が変わります。
忙しい人、学生、夜勤の仕事、アウトドア、さまざまな生活シーンにカップ麺が入り込み、爆発的に普及していきます。
なお、現在でも自衛隊とカップ麺の関係は深く、基地限定のSDFヌードルが話題になることもありますが、それもまた、現場から生まれた食文化の延長線上にあるものと言えるでしょう。
まとめ
今や世界中で愛されるカップヌードルですが、その始まりは決して華やかなものではありませんでした。
高くて売れない革新的商品が、まず現場の人たちに受け入れられ、テレビを通じて広まり、やがて国民食へと成長していったのです。
そんな背景を少しだけ思い出してみると、いつもの味が少し違って感じられるかもしれません。
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