マイナス4度でも暖房なし、もし現代の私たちがそんな環境に置かれたら生活どころではないでしょう。
しかし江戸時代の庶民は、断熱材もガラス窓もない長屋で、当たり前のように冬を越えていました。
暖房器具がほとんど使えなかった江戸時代の冬の生き抜く知恵を、歴史的背景とともに紹介します。
江戸時代の住環境は冷蔵庫レベル
江戸時代の庶民が住んだ長屋は、現代の視点で見ると、寒さに弱すぎる家でした。
壁は薄い板張りで、隙間風は当たり前、窓ガラスも普及しておらず、障子や板戸で外気を遮る程度だったため、保温性はほとんどありません。
さらに江戸は火事が多かったため、火を扱うことには厳しい規制がありました。
庶民が日常的に使える暖房は火鉢だけ、火を強く焚くことはご法度だったので、部屋全体を暖めることは不可能に近い環境です。
寝具も現代のようなふかふか布団ではありません。
木綿は高級品だったため、一般庶民はわら布団や薄い綿布団を使っており保温力は低め、それに加え江戸の冬は平均気温が今より低く、時には夜間に氷点下に下がることも珍しくありませんでした。
家の中の水瓶の水が凍るという記録も多く残っています。
身体の中から温める発想
江戸時代の人々は、家を温めるより「自分自身を温めること」に集中していました。
最も代表的なのが鍋料理です。
鍋は調理の熱で室内をほんのり温めることができ、さらに熱々の料理を食べて体温を上げるという方法で、江戸の栄養学である「本草学」においても、温かい食事で体の中の陽気を高めることは重要とされていました。
さらに、身体を温める工夫として欠かせないのが「ねこ(猫)」と呼ばれた防寒具です。
これは背中部分だけに綿を入れた袖なし半纏で、背中を温めると全身が温まりやすいという身体の構造を利用した衣服で、家事や仕事の邪魔にならず、農民から町人まで幅広く使われていた実用的な冬の必需品でした。
また、冷えにくい体の部位を重点的に守るというのも江戸の知恵で、特に「首・手首・足首」の三つの首は、体全体が冷えにくいと考えられていました。
実際、現代の生理学でもこの考えは正しく、江戸の生活経験が科学的に裏付けられている事例と言えます。
家族で一部屋に集まる密な冬
暖房が弱い家でも冬を越えられた理由のひとつが、家族の過ごし方です。
江戸では冬になると、家族が自然と一つの部屋に集まり、体温を共有しながら過ごす習慣がありました。
これは現代のエアコン暖房より効率の良い保温方法で、人の体温そのものが暖房の役割を果たしていたのです。
江戸後期の書物にも「冬は無理をせず、陽を取り入れて体を休めよ」という養生訓が残されており、寒さを敵として戦うのではなく、うまく付き合うという思想が根付いていました。
さらに興味深いのは、江戸の家屋そのものが「夏を乗り切るための設計」だった点です。
高温多湿の日本では、冬より夏が生活の大敵であり、家は通気性を重視して作られており、冬の寒さは多少犠牲になっていたのです。
まとめ
江戸時代の人々は、現代のような強力な暖房器具がない環境でも、知恵と経験で寒さと向き合っていました。
現代の技術が進化した今だからこそ、江戸の生活術の賢さがより鮮明に見えてきます。
冬の厳しさに立ち向かうためのヒントは、意外にも300年前の庶民たちがすでに持っていたのかもしれませんね。
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