1977年、日本を震撼させた「日航機ハイジャック事件(ダッカ事件)」は、国家が法と人命のどちらを優先すべきか?という、極めて重い選択を迫られた歴史的テロ事件です。
犯行に及んだ日本赤軍、世界中から非難を浴びながらも人命最優先の判断を下した福田赳夫首相、そして事件から半世紀近くが経とうとする現在とは…。
日本赤軍、日航機ハイジャック事件
1977年9月28日、日本航空472便(パリ発・東京行き、経由地ボンベイ=現ムンバイ)は離陸直後、日本赤軍のメンバー5人によってハイジャックされました。
犯人たちは、操縦室に突入して「我々は日本赤軍だ」と宣言、機体をバングラデシュのダッカ空港へ向かうよう強要します。
人質となったのは乗客・乗員あわせて約150人以上、彼らは約6日間142時間にも及ぶ長時間拘束を強いられることになりました。
犯人側の要求は2つ、ひとつは身代金600万ドル(当時のレートで約16億円)、もうひとつは、日本国内で収監されていた日本赤軍関係者9人の釈放と出国です。
日本赤軍とは、1970年代を中心に活動した極左武装組織で、「世界革命」を掲げ、選挙や話し合いではなく暴力によって体制を破壊することを目的としていました。
彼らは日本国内のみならず中東や欧州にも活動拠点を持ち、ハイジャックや爆破事件など国際テロを繰り返していた集団で、ダッカ事件はその象徴とも言える犯行でした。
福田赳夫首相の判断
この事件を語るうえで、避けて通れないのが当時の首相・福田赳夫の決断です。
事件発生の翌日、福田首相は次の言葉を発しました。
「人の命は地球よりも重い」この一言とともに、日本政府は犯人側の要求を受け入れる方針を決定します。
日本の法制度では、裁判も終わっていない被収監者を政治判断で釈放することは原則として許されません。
しかし政府は、法の原則を一時的に超える「超法規的措置」をとり、あくまで人命を最優先する道を選んだのです。
この決断に対し、国内外から激しい批判が巻き起こりました。
「テロリストに屈した」「今後のテロを助長する」「国家の威信を失墜させた」といった声が欧米諸国を中心に噴出し、日本はテロに妥協する国という評価を受けることになります。
一方で、もし要求を拒否して人質に犠牲者が出ていれば、政府は「命を守れなかった国家」として、また別の強い非難を浴びていたでしょう。
福田首相の判断は、正解のない問いに対する選択だったとも言えます。
この事件は、「テロには絶対に屈してはならない」という原則と、「何よりも人の命を守るべきだ」という倫理が真正面から衝突した、極めて象徴的なケースでした。
そして福田赳夫という政治家は、その最も苦しい場所で「人命」を選んだ人物だったのです。
事件後の現在、日本赤軍は終わったのか
この日航機ハイジャック事件を起こした日本赤軍は、2001年に組織として解散を宣言しています。
主要メンバーの多くはその後、逮捕・服役・死亡していますが、すべてが解決したわけではありません。
現在もなお、国際手配中の元メンバーが存在しており、「完全に終わった事件」とは言い切れないのが実情です。
また、ダッカ事件で釈放された活動家の一部は、その後も別のテロ事件に関与し犠牲者が出たケースもありました。
つまり、人質救出という一点においては成功したものの、テロの連鎖を断ち切ることができたか?という点では、極めて難しい問題を残した事件でもあります。
現在の日本では、日本赤軍という組織自体は歴史の中の存在となりつつありますが、テロという行為そのものは世界から消えていません。
宗教、民族、政治思想などを理由にしたテロは今も各地で発生しており、ダッカ事件から約半世紀が経とうとする今もなお、私たちに突きつけられ続けています。
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