楽をしたい、無理をしたくない、できれば働かずに生きたい、それは怠けではなく今の社会を冷静に見ているからこそ生まれる感覚です。
そんな時代に、テレビ番組でマツコ・デラックスが若者へ向けて語った「生きる価値」についての言葉が、SNSで大きな共感と議論を呼びました。
そこには、今を生きる若者や仕事をしたくないと感じる人たちが、言葉にできずにいた本音がありました。
現実的になった若者たちと満たされない感覚
今の若者が仕事に前向きになれないのは、社会の仕組みを早くから理解してしまった結果とも言えます。
努力すれば必ず報われるわけではなく、頑張った分だけ給料が上がる時代でもない、将来の安心が約束されていない中で、無理をせずできるだけ消耗しない生き方を選ぶのはごく自然な判断です。
コスパやタイパを重視する価値観は、むしろ合理的ですし、それ自体が間違っているわけではありません。
ただ、その生き方を続ける中で、楽なはずなのになぜか満たされない、生きている実感が薄い、という感覚が生まれてくる人も少なくありません。
マツコが投げかけた「あなたはどうやって人の役に立っているんですか?」という問いは、この正体のわからない空白を真正面から突くものでした。
楽しさや快適さは、苦しさを減らしてはくれます、しかしそれだけでは「自分がここに存在している意味」までは埋めてくれないのです。
好きなことだけでは埋まらない生きる価値の輪郭
マツコは、自分が楽しいことだけをやっている状態では、深い満足感は得られないと語りました。
この言葉は厳しく聞こえるかもしれませんが、実感として思い当たる人も多いはずです。
人生を振り返ったとき、「あの時、生きていてよかった」と感じる瞬間は、純粋な楽しさよりも誰かと関わった記憶と結びついていることが多いものです。
感謝された経験や、必要とされた実感、ほんの一瞬でも誰かの役に立てたと感じた出来事、そうした体験が後になって強く心に残ります。
人の役に立つことは、正直に言って効率がいいとは言えません。
手間がかかり、見返りがすぐに返ってくるわけでもなく、ときには面倒で割に合わないと感じることもあります。
それでも不思議なことに、その満足度だけは非常に高い、マツコの話が多くの人に刺さったのは、この「コスパは悪いのに心は満たされる」という矛盾を、きれいごとにせず語ったからでしょう。
今は役に立てていない、それでも生きていい理由
特に印象的だったのは、マツコ自身が「今、人の役に立てているとは思っていない」と率直に語った点です。
成功しているように見える人ですらそう感じている、その事実は、生きる価値は完成されたものではなく、常に未確定なまま揺れているものだということを示しています。
彼女は、今やっていることが、いつか間接的にでも誰かの救いになるかもしれない、という本当に小さな希望だけを持って生きていると話しました。
そこには、立派な使命や明確な生きがいを持てない人への静かな肯定があります。
今は何者でもなくていい、誰の役にも立っていないと感じてもいい、それでも可能性が完全にゼロではないなら、生きている理由としては十分なのではないか?マツコの言葉はそう語りかけていました。
まとめ
マツコ・デラックスの言葉は、もっと頑張れという叱咤ではありませんでした。
生きる価値は、今すぐ見つけなくていい、大きな社会貢献ができなくてもいい、それでもいつか誰かに届く可能性がほんの少しでも残っているなら生きていていい、その感覚こそが今の若者や仕事に疲れた人たちの背中を、そっと支えているのです。
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