福井県は、長い間イオンが存在しない県でありました。
それは単なる需要不足でも、土地の問題でもなく、そこには約50年にわたって複雑に絡み合った地元商店街・政治・イオン側の事情が影響していたのです。
そして2024年、ついに待望のイオン系商業施設が福井に誕生します。
今回は、なぜ福井だけイオンがなかったのか、その歴史と背景、そしてようやく実現した進出までの道のりを紹介します。
仲良しから始まった福井とイオンの関係
福井県とイオン(当時はジャスコ)の関係は、実は敵対から始まったわけではありません。
むしろスタートは協力的で、1977年ジャスコと福井市の地元商業組合が共同出資し、中心市街地に「ショッピングタウン ピア福井」が誕生します。
当時としては珍しい、企業と商店街が手を取り合う街づくり型ショッピングセンターとして誕生しました。
ジャスコは日用品や雑貨を担当し、一方の地元商店街は食品売り場を運営するという独特の二本立て方式で、この形態は当時の行政や地元商店街への配慮が背景にありました。
大型店を開業するには自治体の許可が必要で、選挙で支持を失いたくない市議会や市長は、商店街の利益も守れる共同経営型を選ばざるを得なかったのです。
しかしこの特殊な共同運営は、後に大きな問題を生むことになります。
なぜなら、ショッピングセンターの心臓部ともいえる食品売り場が統一されておらず、価格設定・仕入れ・レジ・販促がバラバラ、大型店としての利便性が成立しない構造だったからです。
やがて時代は郊外型の巨大ショッピングモール全盛期に突入、ピア福井は次第に競争力を失い、福井の中心地の顔としての役割を保てなくなっていきました。
小さな亀裂が大きな対立へと発展
1990年代後半になると、イオンは全国で自社100%出資の大型モールを建設する流れに舵を切ります。
もちろん福井県でもジャスコ側は、完全イオン主導の再開発を望みましたが、地元商店街は強く反発、主導権をイオンに握られれば地元が壊滅するという懸念は根強く、市議会も商店街側に配慮せざるを得ませんでした。
その結果、運営方針の違いは溝を深めるばかりで、食品売り場の売上低迷も重なりピアは急速に衰退、2003年ついに施設は閉店します。
この時、解体費用の負担をめぐって双方が対立し、裁判にまで発展したことはあまり知られていません。
かつては協力して作った建物が、いつしか関係の悪化を象徴する存在になってしまった…そんな皮肉な結末でした。
閉店後、イオンは新たに大型ショッピングセンターを建てたいと考えましたが、地元商店街の理解を得ることは難しく、自治体も許可を出しづらかったため計画は何度も頓挫します。
その結果、福井県は全国唯一の「イオンモール空白県」となり、20年以上も進出が止まることになります。
なぜ福井だけ特別に難しかったのか?
福井県だけが特別にイオンを拒んだのではなく、むしろ福井県だからこそ問題が複雑化したと言えます。
全国には地元商店街の反発が原因で大型モールが建たないケースは多くありますが、福井の場合は以下の条件が重なりました。
- 共同経営の失敗という実績がある
- 行政が過去のしがらみを抱えたまま許可を出しにくい状況が続いた
- 地元商店街の結束と発言力が強かった
- 共同事業の破綻後に裁判まで起きたことで関係修復が極めて難しくなった
結果として、イオン側の戦略にも福井スルーの姿勢が生まれ、福井は全国でも珍しいイオンのない県になったのです。
そして2024年に歴史が動く
長い対立の歴史を経て、ついに2024年7月イオンリテール100%出資の「そよら福井開発」がオープンしました。
「そよら」はイオンモールほどの大型施設ではありませんが、日常型ショッピングセンターとして福井市民の暮らしに寄り添う存在です。
この開業は単なる新店舗ではなく、50年近く続いた地元商店街とイオンの関係が雪解けした象徴的な出来事で、かつての確執を乗り越えようやく福井にもイオンが根を下ろし始めたと言えるでしょう。
まとめ
2024年、「そよら福井」の開業により長い空白はついに終わります。
これから福井とイオンがどのような新しい関係を築くのか、今後の展開に注目が集まります。
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