あなたの住む場所の地下にも宝が眠っているかも…?
歴史的ロマンと現代の現実が交錯する埋蔵金。
徳川埋蔵金など有名な伝説も多いですが、実は近代になってからも驚くような場所で財宝が発見されているんです。
今回は、実際に発見された埋蔵金の事例を紹介します。
国内で実際に見つかった埋蔵金
埋蔵金とは、地中や建物の中に隠された財宝のことです。
戦乱や政変、没収の恐れなどから人々が大切な財産を秘密裏に埋めたことが始まりとされています。
日本では、戦国時代や江戸時代を中心に、多くの埋蔵金伝説が語り継がれています。
東京都新川での発見(1963年)
東京の中央区新川で、1963年に工事が行われていた際、地中から大量の小判が発見されました。
この発見はまさに「ゴールドラッシュ」を引き起こし、当時のニュースでも大きく取り上げられたほどです。
見つかったのは、江戸時代の「天保小判」が1,900枚、さらに「二朱金」が78,000枚という膨大な量の貨幣でした。
これらは、江戸時代に酒問屋を営んでいた「鹿島清兵衛」という人物が隠していたもので、後にその子孫に返還されました。
この埋蔵金の価値は、現代では数億円に相当すると言われています。
山梨県のブドウ園での発見(1971年)
興味深い発見は、1971年に山梨県の観光ブドウ園で起こりました。
ブドウ畑の整備中に、地中から掘り起こされた埋蔵金は、小判型「甲州金」18枚、さらに「蛭藻金(ひるもがね)」と呼ばれる希少な金貨が2枚、そして中国から輸入された銅銭5,000枚が見つかったのです。
これらの金貨は、戦国時代に武田信玄が支配した領地で使われた軍用金であった可能性が指摘されています。
発見された甲州金は純度が非常に高く、その希少性から高い市場価値を持ち、2011年には山梨県博物館が1億円で買い取って一般公開もされました。
埋蔵金を見つけたらどうなる?
埋蔵金の発見にはロマンがある一方で、法律的な手続きが必要です。
日本の遺失物法では、発見者は7日以内に警察に届け出なければなりません。
財宝の所有者が特定できた場合、その所有者に返還されますが、発見者には見つけた財産の一部が報奨金として渡されるケースもあります。
また、文化的価値が高い場合、発見された財宝は自治体や国の管理下で保存されることも多く、今回の甲州金のように博物館で公開されることがあります。
まとめ
埋蔵金は、ただの伝説や夢物語ではなく、今回紹介したように実際に発見された事例が存在します。
埋蔵金を見つけるのはそう簡単ではありませんが、誰もが一度は「もしかしたら自分も?」と思いませんか?
この記事をきっかけに、あなたも埋蔵金のロマンに心を奪われるかもしれませんね!
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