2006年3月3日、静寂な高知県旧春野町で悲劇は突如として起こりました。
スクールバスと白バイの衝突事故が大問題へと発展したのです。
スクールバス運転手への判決に深まる闇とは一体何なのか…?
高知白バイ衝突死事故の闇
事件の概要
2006年(平成18年)3月3日、高知県吾川郡春野町弘岡中のレストラン駐車場を出発したスクールバスが、国道56号の交差点へ道路外から右折横断して進入しようとしたところ、高知県警察交通機動隊の巡査長が運転する白バイと衝突。
当時26歳の巡査長は、すぐに病院へ搬送されたが胸部大動脈破裂で死亡する痛ましい結果となってしまいました。
スクールバス運転手と乗客の仁淀川町立仁淀中学校3年生22人と教員3人にけがはありませんでした。
スクールバス運転手は、安全確認不十分のまま道路へ進入して事故を起こしたとして業務上過失致死傷罪容疑で現行犯逮捕されたのです。
裁判での主張の対立
弁護側と検察側の主張は大きく食い違っていました。
- 弁護側の主張
弁護側は、バスが交差点で完全に停止しており、白バイがスピードを出し過ぎた結果、衝突したと主張しました。
同乗していた教員や後続車の運転手も「バスは確実に停止していた」と証言しています。 - 検察側の主張
一方で、検察側は「バスが安全確認を怠り、走行中に白バイと衝突した」として、運転手の過失を強調しました。
この主張の根拠として、事故現場に残されたとされるバスのブレーキ痕が挙げられました。
疑惑の証拠
この事件は、事故現場に残されていた「ブレーキ痕」が裁判で決定的な証拠とされましたが、この証拠の信憑性には重大な疑問が残ります。
検察側は「前輪左側のタイヤに1.2m、前輪右側に1mのブレーキ痕がそれぞれあり、この痕から見てスクールバスが急ブレーキをかけたのは事実だ」と主張しました。
しかし、事故直後に撮影された写真にはブレーキ痕が写っておらず、ブレーキ痕の存在とその長さ、警察の捜査結果と、運転手や目撃者の証言が一致していないのです。
多くの証言者が事故の直後にはブレーキ痕が見られなかったと述べたことで、警察の「ねつ造疑惑」が浮上します。
証言の却下
バスに同乗していた教員や後続車の運転手が「バスは停止していた」と証言しましたが、これらの証言は裁判でほとんど採用されることなく却下。
また、バスに乗車していた生徒からも「スクールバスは停車しており、急ブレーキの事実がなかった」と証言しましたが、これもまた却下されました。
事故の現場にいた他の目撃者たちも同様に「バスは停止していた」と証言しています。
これらの証言が真実であるならば、警察の報告書に書かれたバスが停止していなかったという情報は誤りであり、警察のねつ造疑惑を強める要因となります。
しかし、警察側の証言として、同僚の白バイ隊員の証言が採用されます。
約130m離れた交差点のバスと178m先の白バイを目撃し、「バスは時速約10km、白バイは約60kmだった」と発言。
検察側が優先的に受け入れられたため、被告側に有利な情報が十分に検討されることがありませんでした。
裁判の結果と事件の終幕
この事件では、2007年6月7日、第一審でバス運転手に対して禁錮1年4ヶ月の実刑判決が下されました。
主な理由は、
・バスが安全確認をおこたって道路に侵入した結果起こった事故である。
・バスの破損状況から白バイの速度は衝突時で時速60kmあるいはそれを若干上回る程度であり、あえて無謀ともいえる高速度で走行したとはにわかには考えがたい。
・実況見分調書のブレーキ痕や、路面に残された擦過痕、バスの損傷を総合的に判断し、バスは動いていた。
・事故直後とされる写真にブレーキ痕が映っていることに加え、多くの見物人や報道関係者が居合わせる中、捏造の可能性はほとんどない。
この判決は多くの人々に衝撃を与え、疑念を生むものとなります。
バス運転手は無罪を主張し続け、控訴審、上告審の請求を行いましたが、2018年に最高裁判所は再審請求を退ける決定を下しました。
その結果、この事件はバス運転手が実刑を受ける形で終幕したのです。
しかし、バスが停止していたと証言する中学生や目撃者の証言が無視されたこと、ブレーキ痕についての不一致や警察のねつ造疑惑など疑問が多数存在します。
そのため、公平かつ公正な裁判とは言えず、真実が闇に包まれたままとなりました。
まとめ
高知白バイ衝突死事故は、司法や警察の信頼性に対する疑念を呼び起こす象徴的な事件です。
この事件を通じて、私たちは証拠の検証や公正な裁判の重要性について再考する必要があり、今後の司法制度の改善が強く求められています。
事件の真相解明とともに、公正な法的手続きが実現する社会を目指すべきでしょう。
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