伝説の撃墜王『菅野直』デストロイヤーと恐れられた型破りな空の狂戦士…その壮絶な生涯とは?

第二次世界大戦中、日本海軍には数多くの優れたパイロットが存在しましたが、その中でもひときわ異彩を放つ人物がいました。

​彼の名は「菅野直(かんの なおし)」。​

破天荒な性格と卓越した操縦技術で知られ、敵味方問わず「デストロイヤー」の異名を持つ撃墜王でした。​

今回は、そんな菅野直の生涯と彼にまつわる逸話をご紹介します。

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破天荒な性格と数々の逸話

破天荒な性格と数々の逸話
Via|Wikipedia @wikipedia.org(引用)

1921年10月13日、菅野直は朝鮮半島の竜口(現在の北朝鮮平壌近郊)で、警察署長である父の赴任先にて次男として生まれました。​

その後、宮城県伊具郡枝野村(現・角田市)で育ちます。

​幼少期の彼は、兄や姉を敬愛し、家庭内では従順な子供でしたが、外では明るく喧嘩も強いガキ大将として知られていました。

​7、8歳の頃、近所の猛犬と格闘し、最後にはナイフで倒したという逸話も残っています。​

学業面では、角田中学校に首席で入学し、常にトップクラスの成績を収めており、石川啄木に傾倒し、短歌を好む文学少年の一面も持ち合わせていました。

​中学4年生の時、経済的な事情から大学進学を兄に譲り、自らは軍人になることを決意します。​

陸軍士官学校と海軍兵学校を受験し、陸士は身長不足で不合格となりましたが、海兵には合格し、1938年12月に第70期生徒として入校しました。

1942年6月1日、少尉任官と同時に第38期飛行学生を拝命し、戦闘機専修として大分海軍航空隊に配属されます。​

この頃の菅野は、模擬空戦で教官機に猛接近し、教官が危険と判断して動きを緩めた隙に背後を取るなど、その大胆さで知られていました。​

また、教科書を読んで独学で宙返りを習得し、射撃の成績も優秀でした。​

その破天荒な操縦スタイルから「菅野デストロイヤー」という渾名がつけられ、他の航空隊にもその名が知れ渡っていました。

菅野直は、破天荒な性格と強烈な個性を持つエースパイロットでした。

その性格は戦場だけでなく、日常生活でも多くの逸話が語られています。

菅野直の、上官の発言に激怒し拳銃を抜いて床に発砲したというエピソードは、彼の大胆さを物語るものの一つです。

戦果を疑われた際、自らの決意と覚悟を示すためにこの行動に出たとされ、彼の熱い信念と戦う意志の強さが表れています。

前線での活躍と第201海軍航空隊での指揮

1943年9月15日、厚木航空隊に配属され、1944年2月には第343海軍航空隊(通称「隼」部隊)の分隊長を拝命しました。

​南洋に進出した際、パラオで大型重爆撃機を迎撃する日々を送り、その中で対大型爆撃機戦法を考案します。​

これは、B-24爆撃機に対し敵機の直上方から攻撃する戦法で、高度差を1000メートル以上取り、背転して垂直に敵編隊に突っ込み、死角となる真上から攻めるというものでした。​

この戦法は高い危険性を伴いましたが、菅野とその部下たちは何機もの敵機を撃墜し、その勇猛さから敵軍から「イエローファイター」と恐れられたほどです。​

1944年7月10日、343空が解隊され、第201海軍航空隊戦闘306飛行隊の分隊長に着任します。

​ダバオで部下が憲兵隊長と喧嘩をした際、菅野は「そんな奴は知らない。部下は渡さない」と追い返すなど、部下思いの一面も持ち合わせていました。​

さらに、戦局が悪化する中、彼は部下たちと酒を酌み交わし士気を高めようとしていたところ、司令部から「騒がしい」との苦情が入ります。

そこで菅野は、「明日の命もわからない搭乗員に何を言うか!」と怒鳴り散らし、酒宴を続行させたといいます。

この行動には、彼なりの部下への愛情と、戦争という極限状態での連帯感を大切にする姿勢の表れでしょう。

そして戦局が悪化する中、菅野は精鋭部隊である第343海軍航空隊、通称「剣部隊」に所属し、戦闘301飛行隊の隊長として紫電改を駆り、九州上空の防空戦に従事しました。

​菅野は自らの紫電改に敵を引きつけるため、黄色のストライプ模様を描き、その勇猛果敢な戦いぶりで知られています。

この自己犠牲の精神こそが、彼のカリスマ性を際立たせる要因の一つでした。

​彼の指揮のもと、多くの戦果を挙げましたが、同時に多くの仲間や部下を失う悲劇も経験、それでも彼は特攻作戦には反対し、部下の命を無駄にしない戦術を追求し続けました。

最期の出撃と謎の死

1945年8月1日、菅野はB-24爆撃機の迎撃作戦中に屋久島付近で消息を絶ちました。​

公式には戦死と認定されましたが、撃墜されたのか、自らの意思での自爆だったのかは今もって不明とされています。

​享年24歳という若さでこの世を去りましたが、その名は今も語り継がれています。

その最期については諸説ありますが、彼の勇敢な生き様を象徴するような結末でした。

まとめ

菅野直は、その破天荒な性格と卓越した操縦技術で、日本海軍のエースパイロットとして名を馳せました。

​彼の生涯は短かったものの、その勇猛果敢な戦闘スタイルや独自の戦術は、今なお多くの人々に語り継がれています。​

彼の生き様は、戦争という過酷な状況下での人間の強さと脆さ、そして仲間との絆を象徴するものです。

自らの信念を貫き通した彼の姿勢は、現代に生きる私たちにも多くの示唆を与えてくれるのではないでしょうか。

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