ゲーム業界の巨頭、任天堂とソニー、彼らの関係は、単なる競争を超えた深い歴史と確執に彩られています。
ファミコン時代から始まる両社の関係性と、DSとPSPの価格競争に至るまでの巧みな戦略を振り返り、その後の売上や業界への影響を詳しく紹介します。
ファミコン時代からの確執

1980年代、任天堂は家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」で大成功を収めました。
その後継機として、CD-ROMを採用した新たなゲーム機の開発を模索していた任天堂は、ソニーと手を組むことを決定します。
当時、ソニーの技術者であった久夛良木健氏は、スーパーファミコン用のCD-ROM拡張機器の開発を提案し、両社は共同プロジェクトを進めることとなりました。
しかし、1991年のCES(コンシューマー・エレクトロニクス・ショー)でソニーが「プレイステーション」という名称でこの拡張機器を発表した翌日、任天堂は突如としてフィリップス社との提携を発表、これにより、ソニーとの共同プロジェクトは頓挫し、ソニーは独自にゲーム機市場への参入を決意します。
これが、後の「プレイステーション」誕生のきっかけとなりました。
この一連の出来事は、両社の関係に深い溝を生み、以降の熾烈な競争の火種となります。
ソニーが1994年に発売した初代プレイステーションは、全世界で約1億249万台を売り上げ、ゲーム業界に新たな風を吹き込みました。
一方、任天堂はNINTENDO 64を発売しましたが、約3,200万台の販売にとどまり、ソニーの後塵を拝する形となったのです。
DSとPSP 価格戦争の幕開け
2004年、任天堂とソニーはそれぞれ新しい携帯ゲーム機の発売を予定していました。
任天堂は「ニンテンドーDS」を、ソニーは「プレイステーション・ポータブル(PSP)」を両者ともに発表。
この時期に、両社の戦略的な駆け引きが再び表面化します。
2004年9月21日、ソニーはPSPの詳細を発表する予定でしたが、その発表の1時間前、任天堂は突如としてDSの価格を15,000円と公表したのです。
これは、PSPの価格設定に大きな影響を与えるものでした。
ソニーは当初、PSPの価格を29,800円程度と想定していましたが、DSの戦略的な価格設定により、再考を余儀なくされたのです。
結果として、ソニーはPSPの価格を19,800円に設定、しかし、この価格は製造コストを考慮すると赤字覚悟のものであり、ソニーにとって大きなリスクを伴う決断でした。
ニンテンドーDSは全世界で約1億5,402万台を売り上げ、携帯型ゲーム機としては極めて高い成功を示しました。
一方、PSPは約8,000万台を販売し、一定の成功を収めましたが、DSには及ばない結果となってしまったのです。
まとめ
任天堂とソニーの関係は、協力から対立へと変遷し、ゲーム業界の歴史に多大な影響を与えてきました。
ファミコン時代の協力関係から始まり、DSとPSPの価格競争に至るまで、両社の戦略的な駆け引きは、常に業界の注目を集めています。
これらのエピソードは、企業間の競争が技術革新や市場の発展にどれほど影響を与えるかを示す好例と言えるでしょう。
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