かつて福岡県北九州市に存在した宇宙をテーマにした遊園地「スペースワールド」。
27年という長い歴史を持ちながらも、2017年末にその幕を下ろしました。
しかし、驚くべきはその閉園理由、実は「経営難ではなかった」のです。
黒字運営を続けていたにもかかわらず、なぜスペースワールドは閉園に至ったのでしょうか?
宇宙をテーマにした壮大なプロジェクト

スペースワールドは1990年4月、新日本製鐵(現・日本製鉄)が自社の遊休地活用としてオープンさせたテーマパークです。
場所は八幡製鉄所の跡地で、USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)誘致に失敗した後、ならば自社でテーマパークを、と立ち上げられたのがこの施設でした。
宇宙をテーマにしたその独特な世界観は、多くの来場者を魅了し開園当初は200万人以上の入園者を記録しました。
さらに、1997年には216万人を突破しピークを迎えます。
経営破綻からの復活劇
しかし、1998年に起きたアトラクション事故や、バブル崩壊後のレジャー産業全体の縮小により徐々に来園者は減少します。
2004年には累積損失が35億円に達し、翌2005年には民事再生法の適用を申請、実質的な経営破綻となりました。
その後、北海道の観光業を手がける加森観光が運営を引き継ぎ、従業員の再編、アトラクションの刷新、イベントの強化を図った結果、2010年頃には見事に黒字化。
年間来園者数も100万人前後まで回復し、一定の安定を見せていました。
突然の閉園発表、その理由は?
そんな中、2016年末、突如発表されたスペースワールドの閉園。
理由は、近隣のハウステンボスなどとの競合、少子化、遊園地需要の低下といった通説が挙げられましたが、真の理由は別のところにありました。
実は、スペースワールドの運営会社は加森観光であった一方、土地の所有者は新日鉄住金(当時)でした。
加森観光はこの土地を格安の賃料で借りて運営しており、低コストでの運営を可能にしていました。
しかし、契約更新のタイミングで、新日鉄住金が大幅な賃料の値上げを要求。
加森観光としては、その条件では黒字を維持することが困難と判断し、やむなく閉園を選択したのです。
最後の幕引きと再出発
スペースワールドは2017年12月31日、カウントダウンイベントを最後に27年間の歴史に幕を下ろしました。
多くのファンが別れを惜しむ中、スペースシャトルの模型は解体され、一部アトラクションは他の遊園地に移設されました。
閉園後の跡地は、新たな商業施設として再開発され、2022年にはイオンモールが運営する「THE OUTLETS KITAKYUSHU(ジ・アウトレット北九州)」として生まれ変わりました。
隣接する「イオンモール八幡東」との相乗効果も狙い、ファッション、グルメ、エンタメ、科学館「スペースLABO」など多機能型施設として再整備され、再び多くの人で賑わっています。
まとめ
スペースワールドの閉園は、少子化や業績悪化といった理由ではなく、「土地契約の更新失敗」という大人の事情によるものでした。
黒字経営を維持していたにも関わらず、施設の命運が土地所有者の判断に左右されるという現実は、遊園地経営の難しさを象徴しています。
跡地は新たな商業施設として再生され、北九州の新たなランドマークへと変貌を遂げていますが、多くの人に愛されたあの宇宙のテーマパークが残した思い出は、今も人々の心に残り続けているのです。
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