世界の孤島・イースター島に林立する900体のモアイ像には、未だ解き明かされぬ数々の謎と伝説が眠っています。
なぜ彼らはつくられ、なぜ全て倒されたのか?
過去の文明の栄枯盛衰を物語るその石像は、今も無言のまま未来の私たちに問いかけています。
孤島に立ち尽くす巨人の正体
太平洋に浮かぶ絶海の孤島・イースター島(ラパ・ヌイ)、その静寂な大地に点在するのが、平均4メートル、最大20メートル・90トンを超える巨大な石像「モアイ」です。
数はおよそ900体、だが驚くべきはその見た目だけではありません。
モアイ像の多くは頭だけでなく、胴体や足まで作られた全身像、土中に埋まって見えない部分も多く、想像以上に精巧な彫刻であることが近年の発掘で判明しています。
その目にはかつて、サンゴや黒曜石で作られた目玉がはめ込まれていたとされ、霊的な力を宿す象徴として信じられていました。
敵対部族が争いの中でその目を破壊し、力を封じようとした痕跡も見つかっています。
さらに、重機のない時代に数十トンの巨像を数キロも移動させた方法として、有力なのが「モアイを立てたまま左右に揺らして歩かせる」説です。
まさに島の伝説にある「モアイは歩いた」を地で行く考古学的再現です。
何のために作ったのか?
モアイ像の目的は長年にわたり論争の的でした。
現在有力な説は以下の3つです。
- 祖先崇拝の象徴:モアイは、かつての偉大な先祖を具現化したもので、村人を守る守護像として立てられた
- 墓石説:台座から人骨が発見された事例もあり、「墓標」としての役割があったとする説
- 部族間の権威誇示:巨大な像を建てることで、自部族の力と統治を示す政治的モニュメント
特に後期には部族同士の競争が激化し、より大きく、より多くのモアイを建てる競争が始まったと考えられています。
中でも異彩を放つのが、「アフ・アキビ」に建つ海を向いた7体のモアイ。
多くのモアイが内陸を向いている中、この7体だけは春分・秋分に沈む夕陽の方向を見つめており、天文観測や神聖な儀式の意味があったのではないかという説も存在します。
あるいは、島へやって来た伝説の7人の王子を模した像とも言われています。
文明崩壊と倒されたモアイの真相
18世紀に西洋人がイースター島を訪れたとき、島民はわずか200人前後、ほとんどのモアイ像はすべて倒れていたと記録されています。
なぜなのか?有力な説は、「資源や食糧を巡る部族間抗争」によって敵のモアイ像を意図的に倒したというもの、モアイに宿る霊力を破壊し勝利を示すためだったのです。
またかつては、モアイ制作のために森林を過度に伐採 → 土壌流出 → 食料危機 → 文明崩壊、という環境破壊による自滅説が広まりましたが、近年の研究では次のような見解も強まっています。
- DNA研究では大規模な人口減少は確認されず、むしろ西洋人到来まで増加傾向
- 文明崩壊の主因は、西洋人が持ち込んだ疫病と奴隷狩りだった可能性が高い
- 森林の激減は、人為的伐採というよりネズミの繁殖による生態系破壊が大きかった
つまり、モアイ像を巡る文明の崩壊は、「人類による環境破壊」の象徴というよりも、外的要因との複雑な関係の末に滅んだ文明だったのです。
モアイ像には、現代でも解明されていない謎が数多く残されています。
たとえば──
- 頭に載った赤い帽子(プカオ)は、火山岩スコリアで作られ、数トンもの重さがあるにも関わらず、どうやって数メートルの高さに持ち上げられたのかは不明
- 一部の都市伝説では、イギリスのストーンヘンジがモアイ像の足で、地球の裏側まで像が貫通しているという話も
- また、モアイの目が復元されると災いが止まるという伝説も存在し、実際に宮城県南三陸町には霊力を宿す目のあるモアイが設置されている
一見荒唐無稽に思えるこれらの話も、モアイ像の持つ人智を超えた存在感があるからこそ、人々の想像力を刺激し続けているのかもしれません。
まとめ
モアイ像は、祖先の魂を宿し部族の力を象徴し時に文明の終焉を見つめてきた、歴史と精神の凝縮体です。
900体の石像は今も静かに島に立ち尽くし、私たち人類に語りかけます。
イースター島に立ち続ける巨人たちは、過去と未来をつなぐ考古学のミステリーそのもの…この石像をどう見るかで、世界の見え方もきっと変わるはずです。
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