仏教はインドで生まれたにもかかわらず、現代のインドでは仏教徒の割合が約0.8%と非常に低い水準にとどまっていることを知ってますか?
一方で、日本や中国など他のアジア諸国では、多くの人々が仏教を信仰しています。
この大きな差は一体なぜ生じたのでしょうか?
その背景には、歴史的、社会的な要因が深く関わっています。
インドにおける仏教の興隆と衰退

仏教は紀元前5世紀頃、インドの釈迦(ゴータマ・シッダールタ)によって創始されました。
その教えは当時の厳しいカースト制度に縛られた社会に新たな価値観をもたらし、多くの人々に受け入れられました。
紀元前3世紀にはアショーカ王が仏教を庇護し、インド全土のみならずスリランカや東南アジアへも仏教が広がるきっかけとなります。
この時期、仏教はインドの主要な宗教の一つとして繁栄しました。
しかし、時代が進むにつれて、ヒンドゥー教(当時はバラモン教)が再び勢力を強め始めます。
ヒンドゥー教は仏教の教えを柔軟に取り込み、釈迦を神の化身とすることで、仏教を自らの体系の一部として吸収していきました。
その結果、多くの仏教徒がヒンドゥー教へと戻っていき、仏教の独自性は次第に薄れていきました。
さらに12世紀以降、イスラム勢力の侵攻によって、仏教は決定的な打撃を受けることとなります。
多くの仏教寺院や僧院が破壊され、仏教の学問の中心地であったナーランダ大学も襲撃、僧侶たちは国外へ逃れるか殺害される事態となったのです。
これにより、インド国内の仏教の基盤は崩壊し、急速に衰退していきました。
また、インドではカースト制度が根強く残り、社会的にも仏教徒でいることが難しくなりました。
ヒンドゥー教とイスラム教の支配が続く中、さらにイギリス植民地時代を経てカースト制度は強化され、多くの仏教徒が信仰を維持することが困難となります。
その結果、仏教はインド国内でほぼ消滅し、現在の信者数は約0.8%にまで減少しているのです。
日本や中国での仏教の受容と発展
一方で、中国や日本では仏教が広く受け入れられ、社会に深く根付いています。
仏教は紀元前後に中国へ伝わり、魏晋南北朝時代(3~6世紀)には広く受容されました。
中国では、仏教が儒教や道教と融合しながら独自の発展を遂げ、多くの宗派が生まれています。
特に禅宗や浄土宗は、社会全体に広まり、文化や芸術にも大きな影響を与えました。
日本には6世紀中頃、朝鮮半島の百済を経由して仏教が伝っわたと言われています。
当初は国家鎮護の宗教として受け入れられましたが、平安時代には天台宗や真言宗、鎌倉時代には浄土宗や禅宗が成立し武士や庶民の間にも広がりました。
こうした宗派の発展によって、仏教は日本文化の精神的支柱となり、現代に至るまで多くの人々に信仰されています。
このように、日本や中国で仏教が広まった背景には、「国家の支援」「社会的受容」「文化的融合」の要因があります。
仏教が国家によって保護され、寺院の建立や僧侶の育成が奨励されました。
仏教の教えが当時の社会のニーズに適していたため、多くの人々に受け入れられ、現地の文化や宗教と融合し独自の形で発展したのです。
まとめ
仏教はインドで生まれ、一時は隆盛を極めましたが、ヒンドゥー教の再興やイスラム勢力の侵攻、カースト制度の影響などが重なり、現代のインドでは仏教徒の割合がわずか0.8%にまで減少しました。
一方で、日本や中国では、仏教が現地の文化や宗教と融合しながら独自の発展を遂げ、多くの人々に信仰され続けています。
仏教がインドで衰退し、日本や中国で発展した背景には、それぞれの国の歴史的・社会的要因が深く関係しているのです。
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