もし自分の家のリビングと玄関で国が違ったらどう思いますか?
そんな現実が存在する村が、オランダとベルギーの国境にあります。
その場所は「バールレ村」、世界でも類を見ない複雑な国境線を持つこの村は、どのようにして生まれたのでしょうか?
今回は、バールレ村の不思議な街並みの秘密を紹介します。
バールレ村とは?

バールレ村は、オランダ領のバールレ=ナッサウと、ベルギー領のバールレ=ヘルトフの2つの自治体から成り立っています。
最大の特徴は、オランダ領の中に20か所ものベルギーの飛び地が点在し、その一部にはさらにオランダ領の飛び地が存在するという、まさにパッチワークのような入り組み方です。
道を歩けば、わずか数歩で国を何度もまたぐことができる珍しい光景が広がっています。
なぜ国境がこんなに入り組んだのか?この複雑な国境線の起源は、中世にさかのぼります。
12世紀末、ブラバント公アンリ1世が土地の一部をブレダの領主に譲渡した際、土地を細かく区分けして取引したことが原因とされています。
公爵は収益の高い土地を自分の支配下に残し、それ以外を譲ったため、所有地がモザイク状に入り混じったのです。
その後の戦争や国家の成立、ベルギー独立などを経ても、この複雑な土地の区分はそのまま引き継がれ、1995年の国境線最終確定まで続きました。
飛地(とびち、飛び地)とは、一つの国および地域の領土や行政区画、町会等のうち、地理的に分離している一部分で、土地の一部が「他所に飛んでいる」と見られることからこう呼ばれています。
Via|Wikipediaより引用
なぜ国境線を整理しないのか?
国境線を単純化しようという試みは何度も行われました。
しかし、バールレ村の住民たちは現状維持を強く望みました。
その理由は、両国の法律や税制の違いを生活の中で上手く利用できるからです。
たとえば、タバコやガソリンはベルギー側が安く、食料品や日用品はオランダ側が安い、といった具合に、必要に応じて国を使い分けることができます。
この利便性を失いたくないという思いから、国境の見直しは住民の反対で実現しませんでした。
バールレ村では、国境が家や店の中を通っているのが日常です。
玄関の位置によって、どちらの国に属するかが決まるルールがあり、必要に応じて玄関を移動させるケースもありました。
商取引や営業時間、祝日も国によって異なり、例えばオランダ側が日曜営業禁止の時代には、ベルギー側の店だけが営業していた、という現象も見られました。
現在でも、住民たちは2つの国の法律や制度を巧みに活用しながら暮らしています。
また、警察や行政サービスもオランダとベルギーで別々に存在しながら、インフラ(電気・水道・ごみ収集など)は共同で管理されており、文化センターや図書館も両国共同で運営されています。
違う国でありながら、生活面では緩やかに共存する独特のスタイルが根付いているのです。
まとめ
バールレ村は、中世の土地取引という歴史的背景から生まれた、世界でも稀有な国境線を持つ村です。
国境線を整理しないのは、住民たちが両国の制度を上手く活用しているためであり、それが村の大きな魅力にもなっています。
バールレ村は、単なる観光名所ではなく、「国境とは何か」「国家とは何か」を考えさせる、不思議で魅力的な場所なのです。
もし国境が家の中を通っていたら…そんな想像を現実にできるこの村を、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか?
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