温泉に浸かって、和室でのんびり、豪華なごはん…そんな温泉旅行の王道体験が、今ひっそりと姿を消しつつあります。
温泉旅行の代名詞とも言える「1泊2食付き」のプランが、今では「朝食のみ」や「素泊まり」へと変化しています。
その裏には、人手不足だけでない、現代の観光スタイルや食文化のズレが関係しているのです。
消える「1泊2食付き」プラン、現場では何が起きているのか?
近年、京都をはじめとした観光地の旅館では、料理の提供そのものをやめる施設が増えています。
かつては当たり前だった夕朝食付きのプランが、気づけば「朝食だけ」や「食事なし」の宿ばかりになっているのです。
旅館の経営者たちは苦渋の決断を重ね、食事の内容を変更したり、弁当に切り替えたり、最終的には提供を完全にやめるところも…。
そこには「宿のアイデンティティを守るために葛藤した歴史」や、「想像と違う日本食に困惑する観光客とのすれ違い」がありました。
期待してた日本食じゃない…外国人観光客との味のズレ
いま旅館に泊まる宿泊客の多くがインバウンド、つまり外国人観光客です。
彼らが日本で食事に期待しているのは、SNSや観光雑誌で見かけるTHE・日本食。
たとえば、ジューシーな霜降り肉のすき焼き、極太麺にとろけるチャーシューが乗ったラーメン、握り寿司や焼き鳥、映える抹茶スイーツ、ところが旅館で出されるのは「豆腐の含め煮」「ふきの煮物」「椎茸の炊き合わせ」といった、控えめで素朴な伝統的な和食です。
最初は興味本位で2食付きプランを予約してくれるものの、いざ食べてみると「イメージと違った」「味が薄すぎる」と戸惑う声が多く、なんと夕食1回でキャンセルされるケースも続出しています。
京都市内のある老舗旅館では、「椎茸に歯型だけ残して残飯となっていた」「豆腐がひとかけ欠けてあとは手つかず」など、悲しい現場が日常になりつつあるといいます。
その横にはコンビニのサンドウィッチやマクドナルドの袋が散乱し、食事に込めた「おもてなしの心」が虚しくなる光景が広がっていたのです。
クレームと返金対応でスタッフが疲弊している
食べ物の好みだけでなく、「言葉の壁」や「文化の違い」が旅館を直撃しています。
とくに外国人旅行者が利用するのは海外の予約サイトで、事前決済済みのケースが多く、料理をキャンセルされても、簡単には「料金はそのまま」という説明ができません。
実際に起きているのは、「食べてないのに、なんで払うの?という英語でのクレーム」、「キャンセル受付後に、予約サイトやクレジットカード会社に返金処理の連絡」、そのたびに時間とスタッフの労力が奪われる事態となっています。
これらはフロント係や経営者にとって大きなストレスで、対応だけで勤務時間が消えていく状態、「食事付きのせいで現場が混乱するなら、もうやめた方がいい」それが現場のリアルな声なんです。
さらに、長年旅館の料理を支えてきたベテラン料理長が高齢になり、引退を迎える旅館も増えています。
京都のある老舗旅館では、100年の歴史を背負いながら料理に誇りを持っていた料理長が退職し、その後継を探せず、「ならば、この節目で料理をやめよう」と決断したそうです。
和食の職人は技術を要し、しかも人材確保が難しい職種、アルバイトや若手で代用できるものではなく、「質を下げてまで提供するより、いっそやめる」という考えに至る旅館が増加中です。
旅館は宿泊に特化する時代
旅館によっては、「無理に料理を出すより、外で自由に食べてもらおう」と発想を切り替えたところもあります。
この流れは「泊食分離」と呼ばれ、いま観光地で静かに浸透しています。
たとえばある旅館では、
- 弁当プランをやめて、代わりに外食店の予約代行を提供
- すき焼き・しゃぶしゃぶなど人気の映える和食だけに絞って提供
- 朝食だけはパン・カレーなどを含めた簡易ビュッフェに変更
結果、クレームは激減し、働くスタッフの表情も明るくなったといいます。
お客さんにとっても、食事の自由度が上がることで旅の満足度が高まるという効果もありました。
まとめ
旅館が食事提供をやめているのは、「やりたくないから」ではなく、「やりたくてもやれなくなってきたから」。
味覚のズレ、言語の壁、人材の不足、そして旅行者の多様化する食事スタイルと、さまざまな現実の中で、旅館は料理の提供を見直す必要に迫られています。
私たち旅行者も、「旅館なら料理があるのが当然」という思い込みを一度手放し、旅館がどのような環境で、どんな判断をしたのかに思いを巡らせてみるのも、新しい旅の楽しみ方かもしれませんね。
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