2025年9月29日(月)から始まるNHK朝ドラ『ばけばけ』が放送前から大きな注目を集めています。
物語のモデルとなったのは、日本怪談文学の巨匠・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)を生涯支え続けた妻・「小泉セツ」、その名を知る人は多くはないかもしれませんが、彼女がいなければ『怪談』をはじめとする数々の名作は生まれなかったとも言われています。
今回は、士族の娘として生まれ、波乱の人生を歩みながらも八雲と共に愛と創作の道を切り開いた小泉セツの物語を紹介します。
貧しさに翻弄された少女時代

セツが生まれたのは1868年、ちょうど明治維新の激動の年でした。
父は出雲松江藩に仕えた士族でしたが、明治新政府の改革で家禄を失い、一家は次第に困窮していきます。
生まれてすぐに親戚の稲垣家に養女に出されたものの、その養家も没落、11歳からは機織工場で働き家計を支える日々が始まります。
それでもセツは物語好きの少女で、周囲の大人から昔話や伝説を聞き、時には自分が語り手となって仲間を楽しませることもありました。
このお話好きが、のちに世界的な文学作品を生むきっかけになるとは、当時は誰も想像していなかったでしょう。
22歳で離婚、そして運命の出会いへ
18歳で婿養子を迎え結婚しましたが、夫は貧しさに耐えられず出奔。
22歳で正式に離婚し、再び実家に戻ります。
士族の娘といえども生活は苦しく、家業の機織だけでは食べていけません。
そんなときに巡り合ったのが、松江に赴任してきたばかりの英語教師、ラフカディオ・ハーンでした。
当初は「住み込み女中」として働き始めたセツ、しかしここから二人の運命は大きく動き出します。
八雲は日本語がほとんどできず、セツも英語を話せません。
普通なら意思疎通は困難ですが、二人は独自のヘルンさん言葉を作り出しました。
助詞や活用を無視したシンプルな日本語で会話するうちに、互いの距離は一気に縮まり、半年後には結婚、18歳差の国際結婚は当時としてはかなり異例のことでした。
セツは八雲に日本の昔話や民話を語り聞かせ、それを八雲が英語で書き記していく、これこそが『怪談』をはじめとする名作の誕生プロセスだったのです。
つまり、セツは語り部であり、八雲にとっては欠かせない共同制作者でもありました。
愛妻家・八雲とセツの暮らし
八雲は生涯を通じてセツを大切にし、他人の亭主関白ぶりを嫌悪するほどの愛妻家でした。
旅行や引っ越しの際も常にセツと行動を共にし、対人関係のほとんどを彼女に任せていたほどです。
内向的で不器用な八雲にとって、セツはまさに人生の伴走者でした。
また、二人の間には三男一女が生まれ、家庭はにぎやかに、八雲が執筆に没頭する一方で、セツは子育てや家事をこなしながら夫を献身的に支えました。
彼女のたくましさと優しさは、八雲が描いた理想の日本女性像にも色濃く反映されています。
しかし、幸せな時間は永遠には続きません…。
1904年9月、八雲は胸の痛みを訴え、わずか54歳で急逝しました。
36歳のセツにとってあまりにも突然の別れでしたが、彼の遺言により全財産はセツに託されました。
その後も友人や子どもたちに支えられながら、家族の生活を守り続けます。
そして1914年、夫との思い出を綴った『思い出の記』を発表。
そこには、愛情深い夫の素顔や、二人が積み重ねた日々の記憶が鮮やかに描かれています。
この一冊によって、怪談作家として謎めいた印象の強かった八雲が、人間らしく温かい人物として後世に伝わることになりました。
朝ドラ『ばけばけ』が描く影の共作者
今回の朝ドラ『ばけばけ』は、この小泉セツの生涯を軸に描かれます。
海外向けには「The Ghost Writer’s Wife」というタイトルも発表されていて、幽霊の物語を書いた作家の妻であると同時に、夫の創作を陰で支えたゴーストライターという二重の意味が込められています。
朝ドラ『ばけばけ』を通して、これまで八雲の影に隠れていたセツの魅力が多くの人に知られることになるでしょう。
彼女の生き方は、現代を生きる私たちに「困難を乗り越え、愛と信頼を築く強さ」を改めて教えてくれるはずです。
彼女のたくましい人生、ことばの壁を超えた愛、そして怪談文学を生み出した共同作業、これらを朝ドラという舞台でどのように表現してくれるのか、今から楽しみでなりません。
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