この人…前にも見た気がする?テレビに映る市民の声に、そんな違和感を覚えたことはありませんか?
最近SNSでは、報道に登場する仕込みの一般人が話題になっています。
いわゆる「クライシスアクター」と呼ばれる彼らの正体とは一体何者なのか?本当に存在するのか?そして私たちはどう見抜けばいいのか?
クライシスアクターとは?

クライシスアクターという言葉は、もともと災害訓練やテロ対策訓練で被害者役や通行人役を演じる俳優やボランティアを指します。
警察や自衛隊、消防などが行う実践的な訓練にリアリティを持たせるため、欠かせない存在として認知されてきました。
しかし近年、「クライシスアクター」という言葉は全く別の文脈で広まりつつあります。
特にSNS上では、報道番組や街頭インタビュー、災害時の映像に繰り返し登場する同じような人物に対して、仕込みの俳優ではないか?と疑う声が急増しています。
実際、「この人は別の事件でもインタビューに答えていた」「見た目が不自然すぎる」といった投稿がX(旧Twitter)やTikTokで話題となり、そこから「これは演出だ」「世論を操作している」といった陰謀論が拡散されるケースも後を絶ちません。
元出演者が語る仕込みの実態とテレビの演出事情
実際に、そうした仕込みに参加していたと語る元エキストラの体験談も出てきています。
ある女性は、かつてフジテレビの人気番組『発掘!あるある大事典』をはじめとする健康情報番組や街頭インタビューに仕込みとして出演していたことを自身のYouTubeで告白しました。
たとえば、次のような演出を経験したと語ります。
- 「納豆を1週間食べると肌年齢が若返る」などの健康実験に参加し、実際には化粧水を使うなど別の要素も加えられていた
- 「元彼の悪口を言ってください」「便秘症ですか?」といった難しい質問に対して、事前に台本とリハーサルが用意されていた
- 実験期間が1週間とされていた内容を、実際には1日で衣装チェンジとカット編集で表現した
さらに、行列の演出も実際に存在したと証言、「どこでこの店の情報を知ったの?」と思うような新店オープンに、あらかじめ並ぶ役としてエキストラを配置されていたこともあったそうです。
こうした証言が裏付けるのは、テレビの演出が事実と感情を効果的に伝えるための加工として日常的に行われているという現実です。
それが報道番組でも用いられているのでは?という視聴者の疑念が、クライシスアクターという言葉をよりセンセーショナルにしているのです。
SNSで話題の怪しい人たちの特徴とは?
SNS上では、この人は仕込みでは?とされる人たちに共通する特徴があると指摘されています。
代表的な例は以下のとおりです。
- 服装・バッグ・靴などが無地で安っぽい印象
- ブランドロゴやキャラクターが映らないよう意図的に避けられている(著作権やスポンサー配慮)
- 感情表現が過剰で、インタビューの受け答えが「演技っぽい」
- 異なる事件で同一人物が目撃者・被害者・通行人として何度も登場
こうした特徴をもとに、仕込みの可能性があるとSNSユーザーが自発的に検証する動きもあり、中には動画のキャプチャを並べて検証する投稿も見られます。
さらに、「母と小学生の息子だけのグループが平日の昼に団体バスで富士山へ?」「高級住宅街を通る路線なのに乗客が皆安っぽい服装」といった、状況と登場人物の不自然さから仕込みを疑う声も後を絶ちません。
もちろん、これらがすべて実際の仕込みだという確証はありませんが、映像に対して抱く違和感は多くの人に共通している感覚であると言えるでしょう。
私たちはどう向き合うべきか?
SNSで「この人、どこかで見たことがある」「仕込みっぽい」「絶対ヤラセだ」といった声が広がると、それは一瞬で確信へと変わってしまいます。
しかし、私たちがその渦中にいるときこそ最も求められるのは、冷静な目と断定しない姿勢です。
違和感を覚えることは悪いことではありません。
それは視聴者としての健全な疑問です。
ただし、その違和感があるからといって、「これは仕込みに違いない」「政府やメディアの陰謀だ」と短絡的に結論づけてしまうと、今度は逆に真実を見誤ることにもなりかねません。
メディアの演出には、スポンサーへの配慮や編集上の都合といった現実的な事情が多く絡んでいます。
映像に映る人々がロゴなしの服を着ているのは、その人が仕込みだからではなく、権利処理のためかもしれません。
感情表現が大げさに見えるのも、緊張や編集の切り取りによって誇張されているだけかもしれないのです。
また、「クライシスアクターでは?」と疑われた一般人が、無関係にもかかわらずSNSで誹謗中傷を受けるという痛ましいケースも存在します。
違和感や疑問を持つことは大事ですが、それを誰かを攻撃する理由に変えてしまっては本末転倒です。
今の時代、SNSでは誰もが情報を発信できる反面、誰もが炎上の当事者になり得るのです。
だからこそ、情報の真偽を見極める力、そして「自分はまだ全体を知らないかもしれない」と留まる心の余裕が必要です。
テレビや報道のすべてを信じる必要はありません。
けれど、すべてを疑い、決めつけ、否定することも、また別の偏りです。
私たちにできることは、事実に向き合いながら、冷静に考え、複数の視点で物事を捉える習慣を持つこと、その積み重ねが情報社会における真のリテラシーなのではないでしょうか。
まとめ
SNSでの拡散や暴露をきっかけに、クライシスアクターという言葉はエンタメから報道の世界にまで広がりつつあります。
実際に仕込みの出演があることは暴露されており、視聴者がそれに違和感を持つのも当然です。
しかし、すべてを陰謀と決めつけるのは早計であり、冷静な視点と柔軟な思考が求められます。
報道や演出の見えない意図に気づく力こそが、情報社会を生き抜く私たちに必要なスキルではないでしょうか。
誰かの言葉ではなく、自分の目と判断力を信じてください。
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