呪いと聞いて想像するのは、霊?儀式?それとも人間の狂気でしょうか?
今回紹介するのは、実際に存在しそして多くの命が失われた2つの遺跡です。
ひとつは孤島で始まった独裁と地獄の2年間、もうひとつは禁断のオカルト寺院で起きた死…歴史に残る本当にあった呪われた場所を通して、人の心の闇とそこに宿る何かに迫ります。
クリッパートン島

メキシコ西方の太平洋上に浮かぶクリッパートン島は、わずか直径3kmほどの環礁です。
グアノ資源をめぐる領有権争いの末、1931年に国際仲裁裁判によりフランス領と認定されました。
19世紀末、メキシコは灯台建設と駐屯を開始、軍人とその家族が定住し静かな島に人々の生活が根付こうとしていました。
しかし、1910年にメキシコ本土で勃発した革命が、すべてを変えます。
補給が途絶え島は完全に孤立、次第に食料と医薬品が尽き、飢餓と病気により人々は次々と命を落としていきました。
やがて島に残されたのは、15人の女性と子どもたち、そしてたった1人の成人男性(灯台守)のビクトル・アルバレスだけでした。
アルバレスは自らを「島の王」と称し、残された女性たちに対して暴力と性的強要、食料の独占など恐怖による支配を開始します。
外界との連絡が一切ない状況下で、彼の支配は約2年間も続きました。
女性たちは抵抗できず、日々を恐怖と屈辱の中で過ごすしかなかったのです。
ついに限界に達した彼女たちは団結し、アルバレスを襲撃します。
ナイフやハンマーを使い彼を殺害、皮肉なことにその数時間後、偶然アメリカ海軍の船が島に到着したのです。
彼女たちはようやく地獄から救出されました。
人間性が壊れ、狂気と暴力に支配された空間、そこに宿った負のエネルギーこそが、今もこの島を呪われた島と呼ばせる所以です。
この事件は「クリッパートン症候群」という名称で知られるようになり、閉鎖空間における人間の理性崩壊の象徴となりました。
現在、クリッパートン島はフランス領の無人島として、年に数度軍が巡回する以外に人が立ち入ることはほとんどありません。
観光地でもなく、記念碑もない、ただ静かに風と波の音に混じって、今なお過去の恐怖が語り継がれているのです。
テレマの寺院

イタリア・シチリア島の小さな町チェファル、その片隅に今もひっそりと崩れかけた呪われた寺院が存在しています。
それがアレイスター・クローリーによって設立された「アビデ・オブ・テレマ(聖魔術寺院)」です。
アレイスター・クローリーは「世界でもっとも邪悪な男」とも称された英国の魔術師であり思想家、彼はテレマという新たな宗教思想を打ち立て、「汝の意志することを行え。それが法のすべてである」と宣言しました。
ドラッグ、セックスマジック、悪魔召喚、世間の道徳とは正反対の思想を掲げ、上流階級出身でありながら社会のタブーに挑んだ彼の生き方は、当時の人々に恐怖と好奇の目を向けさせました。
1920年、クローリーは信者とともにこの寺院を築き、奇怪な儀式の数々を行い始めます。
建物の壁一面には、悪魔的なシンボルや血を連想させるペイント、不気味な裸体の壁画が描かれており、そこはまさに魔術と狂気の館です。
その異様な空間のなかで、実際に死者が出ます。
猫の血を用いた儀式の後、イギリス人信者が死亡、クローリーが医療行為を拒んだともいわれ英国メディアは大騒ぎします。
報道が過熱する中、イタリア政府はクローリーを国外追放し寺院は閉鎖しました。
しかし、問題はその後です。
寺院を訪れた人々が吐き気や頭痛、幻覚などに襲われるという報告が相次ぎます。
オカルト研究家の間では、「この場所にはクローリーの魔術が今なお残留している」「精神が破壊される場所」として恐れられ、呪われた寺院の名を確立させることになります。
現在もこの寺院は廃墟として存在しています。
壁画は風化しながらもいくつか残り、観光ルートにも載らず地元住民ですら立ち入ることを避けています。
「ここを訪れると、自分が壊れていく気がする」そう語るオカルト信者も少なくありません。
まとめ
クリッパートン島、テレマの寺院いずれも、恐ろしいのは超常現象そのものではなく、人間の心の奥底にある闇がむき出しになったことです。
極限状態の孤立、欲望に支配された信仰、暴力の正当化……それらが「呪い」と呼ばれる所以でしょう。
それは過去の出来事であって、決して過ぎ去ったものではなく、現代の私たちにも起こりうる現実かもしれません。
呪われた遺跡を前にして恐れるべきは幽霊ではなく、そこに刻まれた人間の記憶であることを、どうか忘れないでください。
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