標高3,000メートル級のアルプスのような景色…とは真逆の、たった6段の階段を登るだけで登頂できる山が、宮城県仙台市に実在します。
その名も「日和山(ひよりやま)」、一度は日本一の称号を失うも、東日本大震災をきっかけに再び日本一に返り咲いた、まさに運命に翻弄された山の物語を紹介します。
わずか3メートル?それでも山と認定される理由

仙台市の北東部、仙台港のすぐそばにある宮城野区蒲生地区。
その一角に、海沿いの防潮堤を越えた先に見える小さな土の盛り上がりが「日和山」です。
この山、標高はたったの3.0メートル。
にもかかわらず、国土地理院によって正式に山として認定されています。
なぜこのような低さでも山なのでしょうか?
それは、山の定義が「自然または人工的に形成された地形で、名前があり、土地の突起部を示す地形」とされており、標高の高さだけでは判断されないからです。
日和山は人工の築山ですが、正式に地形図に記載されており、看板や名称もあることから山として成立しているのです。
このようなユニークな存在は全国でも珍しく、訪れた人には登頂証明書も発行されるため、SNS映えスポットや観光ネタとしても人気があります。
震災がもたらした逆転劇
日和山が、日本一低い山として初めて認定されたのは1991年、当時の標高は6.05メートルでした。
認定に尽力したのは国土地理院の職員で、「あれ、これって実は日本一低いのでは?」という気づきがきっかけだったといいます。
しかし、そのわずか6年後の1997年、大阪市の天保山(てんぽうざん)が標高4.53メートルとして再認定され、日和山は日本一の座を失います。
以来、地元では「元祖日本一低い山」としてPRされ続けてきました。
そんな日和山の運命が大きく変わったのが、2011年3月11日の東日本大震災です。
津波と地盤沈下により、日和山の標高は6メートル台から3.0メートルまで低下、山の形状も大きく変わり再測量の結果、2014年に再び「日本一低い山」に認定されることとなったのです。
この逆転劇は、日本中に衝撃を与えました。
ただの観光ネタではなく、震災と復興の象徴として多くの人々の記憶に残る存在となったのです。
日和山の魅力と地域との絆
現在の日和山周辺は、震災後の防潮堤工事や区画整理によって大きく様変わりしました。
かつて住宅が立ち並んでいた蒲生地区の住民は多くが移転を余儀なくされ、近隣の中野小学校も閉校しています。
しかし、その中で日和山は、残された風景として地域の記憶をつなぐ存在となっています。
毎年7月には、富士山の山開きに合わせて、日和山の山開きイベントが開催され、旧中野小の太鼓演奏や高砂神社を巡るウォーキングイベントが行われます。
主催しているのは地元の市民団体「中野ふるさとYAMA学校」です。
参加者には無料で登頂証明書が配られるなど、地域交流の場としての機能も果たしています。
日和山のふもとには、津波に耐えたクロマツや震災前の資料が展示されている施設もあり、震災の記憶を風化させない活動にもつながっています。
登山という言葉からはかけ離れた平らな冒険ですが、この山に登ることは日本の自然災害と向き合った地域の強さに触れる体験でもあります。
まとめ
日和山は、その低さゆえに注目されがちですが、実は震災・復興・地域の記憶が凝縮された場所です。
たった3メートルの高さの裏には、日本一高い富士山にも負けない、深く力強い物語があるのです。
旅行や観光のついででも、一度は足を運んでみてはいかがでしょうか?
ただのネタスポットではない、忘れてはいけない風景が、そこには静かに佇んでいます。
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