「私たちにとって、近藤さんは神様です」これは、ネパールの秘境ムスタンの村人たちが口を揃えて語る言葉です。
誰もが不可能だと言った地で、たった一人の日本人が挑戦し奇跡を起こした物語は、今なお世界中の人々の心を震わせています。
奇跡を起こした70歳の日本人
舞台となったのは、ネパール北部の秘境ムスタン、標高3600m、年間降水量はわずか100mmほどで、農業には致命的すぎる環境でした。
さらに当時の平均寿命は45歳、教育も医療もほとんどなく、村人たちは生き延びるだけで精一杯の生活を送っていました。
多くの国際支援団体もムスタンに入りましたが、過酷な自然の前に成果を出せず撤退、村人たちは「自分たちの未来は変わらない」と諦めかけていたのです。
そんな時、70歳を迎えた一人の日本人農学者・近藤亨さんがムスタンに現れました。
年齢を考えれば普通は隠居してもおかしくない時期、それでも彼は「ここで農業を根付かせたい」と決意します。
彼が挑戦したのは、まさかの稲作、世界で最も高い標高で稲作が成功した記録は2450m、つまりムスタンはその1000m以上も上にありました。
誰がどう考えても無理筋で、現地の人たちも「日本人は夢を見ている」と半ば笑っていたといいます。
奇跡の稲作成功までの道のり
近藤さんは、まず一人で用水路を作り始めました。
標高3600m、空気も薄く、体力的にもきつい作業、それでも彼は毎日、鍬を手にして土を掘り続けます。
4年間の試行錯誤、種をまいては枯れ、収穫できる寸前で霜にやられ…幾度となく失敗を繰り返しました。
普通なら心が折れる場面ですが、近藤さんは「必ず黄金の稲穂をこの大地に実らせる」と諦めませんでした。
そしてついに3600mの大地に、黄金色の稲穂が風に揺れる日が訪れます。
世界中の農業関係者を驚かせた、前例のない快挙でした。
近藤さんの挑戦は稲作に留まりません。
野菜の栽培、魚の養殖まで成功させ、「食べることに困らない未来」を村にもたらしたのです。
さらに驚くべきは、学校や病院を自ら建て始め、17校もの学校と病院を作り教育と医療の基盤を整えました。
文字の読み書きができなかった少年が、近藤さんの教え子として育ち、のちに右腕として地域を支える存在に成長したエピソードは有名です。
物質的な支援に終わらず、未来を自分たちで作れるように導いた…まさに「持続可能な発展」のお手本のような活動でした。
世界が称賛した神様
その功績は国際的にも高く評価され、2013年にはネパール最高位の勲章を授与、村人たちは近藤さんを「神」と呼び、彼の歩みを讃え続けました。
2016年、94歳でこの世を去るまで、近藤さんは現地で活動を続け、村人に寄り添い続けました。
葬儀の日には多くの人々が泣きながら彼を見送り、「私たちはあなたを一生忘れない」と祈りを捧げたといいます。
この物語から学べることは、「無理だと言われたことでも、諦めなければ奇跡は起きる」ということ。
しかも近藤さんは、自分のためではなく、誰かの未来のために命をかけました。
今の時代、利便性や効率ばかりが重視されがちですが、本当に大切なのは誰かの役に立ちたいという気持ちなんじゃないか…そう感じずにはいられません。
まとめ
一人の日本人が、絶望の大地ムスタンで起こした奇跡、それは単なる農業の成功ではなく、「人が人を信じる力」「未来を諦めない心」の象徴でした。
もし今、何かに挑戦していて壁にぶつかっている人がいたら、ぜひ近藤さんの物語を思い出してください。
たった一人でも、70歳を過ぎてからでも、人は世界を変えることができるのです。
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