昭和の終わりから平成の始まりにかけて、佐賀県で女性ばかりを狙った連続殺人事件が起きました。
被害者は7人、どの事件も手口に共通点があり、世間からは「水曜日の絞殺魔」と呼ばれることに…。
平穏な田園地帯を襲った恐怖は、30年以上経った今も人々の心に残っています。
14年にわたり女性ばかりが犠牲に…
1975年から1989年、佐賀県で次々と女性が命を奪われました。
舞台となったのは武雄市、白石町、みやき町など半径30キロ圏内の小さなエリア、その犠牲者は7人でした。
年齢は10代から50代まで幅広く、ある者は外出途中に行方不明となり、ある者は遺体で発見されました。
静かな田園地帯を恐怖に陥れたこの連続殺人は、やがて「水曜日の絞殺魔」と呼ばれるようになります。
捜査線上に浮かんだのは二人の男でした。
最初に疑われたX氏は証拠不十分で不起訴、次に逮捕されたY氏は「北方事件」と呼ばれる3件で起訴され、検察は死刑を求刑しました。
だが、裁判の行方は予想外でした。
決め手とされたのは「自分が殺した」とする上申書。
しかしこれは長時間の取り調べの末に作られたもので、裁判所は違法収集証拠として退けました。
- 2005年、佐賀地裁で無罪
- 2007年、福岡高裁で控訴棄却
無罪が確定し、事件は再び闇に沈みます。
単独犯か複数犯か?今なお残る深い闇
7件のうち6件が水曜日に起きたと言われ、犯人はその曜日に自由な時間を持つ人物だったのか?
その一方で、被害者の年齢層も生活環境もバラバラで、共通点は見えにくいです。
7件は一人の犯人ではなく、複数の事件が混ざっているのではないか…当時の警察関係者や犯罪学者の間でも議論は割れています。
この事件で有罪判決は一件もありません。
未解決のまま時は流れ、今では30年以上が経過、遺族の無念は晴れず、地域には恐怖と疑念が残ったままです。
もし保存された証拠品にDNA鑑定が行われれば、新たな展開を迎える可能性はあるでしょう。
果たして、その日が来るのでしょうか……。
それでも、まず大切なのは「忘れないこと」、この出来事を語り継ぐことこそが、犠牲になった方々への小さな手向けになるのではないでしょうか。
まとめ
水曜日の絞殺魔は決して都市伝説ではなく、公式に記録された未解決の連続殺人事件です。
真相はいまだ明らかにならず、佐賀の地には“人が誰なのか分からないままという不気味な現実だけが残されています。
確かな真相が明らかになる日を願いながら、被害者やご家族に寄り添う気持ちを忘れずにいたいですね。
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