戦後最大の未解決毒殺事件『帝銀事件』の真犯人はGHQが隠した731部隊関係者か…隠された罪と冤罪!?

1948年、日本がまだGHQの占領下にあった混乱の時代,=、東京・豊島区の帝国銀行椎名町支店(現:三井住友銀行)で、14名が命を落とす前代未聞の毒殺事件が発生しました。

犯人は厚生省の職員を装った白腕章を着用した男、赤痢の予防薬だと偽って猛毒を飲ませたのです。

事件は「帝銀事件」と呼ばれ、戦後最大のミステリーとして今も語り継がれています。

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帝国銀行、午後3時の悲劇

帝国銀行、午後3時の悲劇
Via|Wikipedia(左)事件発生時の帝銀椎名町支店(右)捜査本部が捜査員に配布した「帝銀毒殺犯人捜査必携

1948年1月26日午後3時過ぎ、銀行の営業を終えた支店では、行員たちが片付け作業をしていました。

そこへ現れたのが、白衣姿の中年男性、腕章には「東京都防疫班」の文字があり、名刺には「厚生省技官」と肩書きが書かれていました。

男はこう言いました。

「近くの家で集団赤痢が発生した。GHQが行内を消毒する前に予防薬を飲んでもらいたい、感染者の1人がこの銀行に来ている」

当時の日本ではGHQの命令は絶対、誰もが疑うことなく従う雰囲気がありました。

支店長代理はその説明を信じ、行員やその家族、住み込みの従業員ら計16名が集められたのです。

白衣の男は「歯の琺瑯質を痛めるから舌を出して飲むように」と言いながら、自分で飲んで見せたのです。

男が自ら飲んだことで、行員らは男を信用し、紙コップで薬を口にします。

次の瞬間、喉を押さえ、苦しみながら次々に倒れていく職員たち、それは予防薬ではなく猛毒の青酸化合物でした。

悲鳴が飛び交う中、男は冷静に金庫の鍵を奪い、現金約16万円(現在の価値で約1000万円)と小切手を持って逃走、犯行時間はわずか20分、現場には息絶えた行員12名と重体の4名が残されていました。

実はこの帝銀事件の数ヶ月前、似た手口の未遂事件が2件発生していました。

いずれも幸い死者は出ませんでしたが、男が使用した名刺や説明内容は帝銀事件と酷似していました。

つまり、帝銀事件は綿密に計画された連続犯行の完成形だった可能性が高いのです。

容疑者・平沢貞通の逮捕、名刺が導いた悲劇

事件発生から半年後の1948年8月、警察は一人の男を逮捕します。

その名は平沢貞通(ひらさわていつう)56歳の画家で、かつてはテンペラ画の名手として知られていました。

捜査のきっかけとなったのは「厚生省技官・MS」と印字された名刺、類似事件で使われたものと同一であり、MS本人が「その名刺を渡した相手の中に平沢がいた」と証言したのです。

しかし平沢は「名刺入りのカバンを盗まれた」と主張し、盗難届も出していました。

物的証拠は一切なし、それでも警察は彼を逮捕し厳しい取り調べを開始、逮捕後、平沢は一貫して否認を続けます。

しかし、数週間に及ぶ取り調べの末に「自白」に転じたのです。

この供述がそのまま起訴の根拠となり、同年10月に強盗殺人罪で起訴されました。

後に平沢は「自白は警察に強要された」と撤回、しかも彼には狂犬病の予防接種の副作用で、コルサコフ症候群(記憶障害)を患っていたことも判明しています。

供述が支離滅裂で一貫性がないことから、精神的に追い詰められていた可能性が高いとされ、1950年東京地裁は平沢に死刑判決を言い渡し、1955年に最高裁で上告が棄却され死刑が確定します。

しかし、その後の歴代法務大臣は誰一人として執行命令に署名しませんでした。

平沢は獄中で39年を過ごし、1987年に95歳で病没。

死刑囚のまま、死刑を執行されずに亡くなった唯一の人物となりました。

冤罪説が根強い理由

帝銀事件が「戦後最大の冤罪事件」と呼ばれる理由は、以下の通りです。

  • 犯人の人相書きと平沢の顔が似ていなかった
  • 犯行に使われた青酸化合物の入手経路が不明
  • 医学的な専門知識を要する犯行で、画家の平沢には不可能
  • 犯行動機が説明できない

さらに、捜査段階で旧陸軍731部隊への捜査がGHQによって中止させられたという証言もあります。

この部隊は人体実験や生物兵器研究を行っていたとされ、青酸化合物の扱いに長けていました。

「犯人は元731部隊の関係者で、GHQが彼らを戦犯から守るために捜査を止めた」そんな説まで浮上しています。

もし、731部隊出身者が関与していたとすれば、米軍がその知識を利用する目的で事件の真相を封印した可能性もあるとされています。

一方で、平沢は事件後に「説明のつかない大金」を持っていたことも事実です。

画家としての収入では到底得られない額でしたが、その出所は生涯明かされることはありませんでした。

この謎の大金が、彼を容疑者へと追い詰めた最大の理由とも言われています。

しかし、証拠は散逸し関係者も他界…真相に迫る手段は年々失われています。

「真犯人は誰だったのか」…それを知る人物は、すでにこの世にいないのかもしれません。

まとめ

帝銀事件は、単なる強盗殺人ではありません。

戦後という混乱の時代、権威を信じた人々の悲劇であり、司法が抱える「冤罪」という闇を象徴する事件です。

そして、GHQ・旧日本軍・731部隊といった要素が絡むことで、現代においてもなお国家レベルの謎として語られ続けています。

平沢貞通は本当に犯人だったのか、それとも戦後の巨大な闇に呑まれた犠牲者だったのか…答えは、今も誰にもわかりません。

あの日、銀行で倒れた14人の命の真相が、まだ完全には解き明かされていないということです。

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