スターバックスと並ぶ、シアトル系カフェの御三家として誕生したタリーズ、アメリカ本国では破産を経験し、2018年にすべての直営店が姿を消しました。
しかし日本では、現在も全国に店舗を増やし続け、スターバックスと肩を並べる存在になっています。
なぜアメリカではうまくいかず、日本では成功できたのか?その理由を探ってみましょう。
アメリカでタリーズが失敗した理由

タリーズは1992年、シアトルでトム・タリー・オキーフによって創業されました。
当初はスターバックスの近くに出店するという戦略を採用し、西海岸を中心に約200店舗まで拡大しますが、これが後に大きなリスクとなってしまいます。
まず、資本力の差です。
スターバックスは急速なグローバル展開でブランド力と資金を蓄える一方、タリーズは中堅規模の企業にとどまり、出店攻勢の負担で経営が圧迫され、2007年には株式市場の暴落でIPO計画が頓挫します。
さらに2009年には、コーヒー豆の流通事業や焙煎事業を外部に売却し一時的な資金を確保しますが、これは中核機能の喪失につながり、その後2012年に連邦倒産法11条を申請し事実上倒産。
投資家グループや俳優パトリック・デンプシーが救済を試みましたが、資金問題で頓挫し経営体制は混乱、2018年にはコーヒー不足を理由に残る店舗も閉鎖され、タリーズは米国から消滅してしまいました。
現在はキューリグ社のコーヒーブランド名としてのみ存続しています。
日本でタリーズが成功した理由
一方、日本では全く異なる展開をたどります。
1997年、銀座に1号店を開いたのが始まりで、当初はスタバの二番手と見られたものの、落ち着いた雰囲気や独自メニューでファンを増やしていきます。
大きな転機は、2005年に商標権を日本法人が完全取得したことです。
これによりアメリカ本社の経営難から独立した存在となり、米国倒産の影響を受けずに済みました。
さらに2006年には伊藤園が経営を引き継ぎ、タリーズは強力な親会社のもとで成長を続けることになります。
伊藤園の資本とサプライチェーンは、日本での成功を支える柱となり、安定した資金調達で新規出店や改装を継続できただけでなく、紅茶や抹茶、和素材のスイーツといった日本人の嗜好に合った商品開発を次々と展開、これにより「コーヒーが苦手な層」も取り込み、スタバとの差別化を実現したのです。
日本市場に合わせた戦略
タリーズジャパンは、商品だけでなく空間設計や出店場所の工夫でも成功します。
スターバックスが「サードプレイス」として都市部の一等地を中心に展開したのに対し、タリーズは病院・大学・銀行・ショールームなど生活導線に近い場所へ積極的に出店、これにより「ついで利用」が生まれ、日常に溶け込むブランドとして定着しました。
さらに、スタバが女性や若年層を主要ターゲットとしたのに対し、タリーズは25歳以上の味覚重視層を意識、店内はクレマ色で統一された落ち着いた雰囲気で、完全分煙の喫煙室を備える店舗もあり、幅広い世代が安心して過ごせる空間を実現しました。
また、コンビニ展開された缶コーヒーやペットボトル飲料は、店舗に行かない層への認知を広げブランド力を底上げ、こうした戦略の結果、タリーズは2006年に320店、2011年に410店、2016年に638店、2020年には747店と着実に拡大します。
現在ではスターバックスと並び、日本三大コーヒーチェーンの一角を占めています。
まとめ
アメリカでのタリーズは、スタバに挑む形で拡大したものの、資本力不足や経営混乱により2018年に撤退を余儀なくされましたが、日本では商標権の独立取得と伊藤園の傘下入りにより、資金力・商品開発・サプライチェーンを強化し、スタバと「競合せず共存」する道を選んだことで成功を収めています。
つまり、タリーズの日本での成功は本国からの独立性・親会社の支援・市場適応力に支えられたものです。
今後も生活導線に寄り添った出店や日本人好みのメニューを展開し、スタバとは違う魅力を持つカフェとして成長を続けていくでしょう。
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