牛丼チェーン最大手のひとつである吉野家と国民的人気漫画『キン肉マン』、実は深い歴史的な繋がりがあります。
1980年に倒産の危機にあった吉野家を救ったのは、子どもたちが夢中になった『キン肉マン』だったとも言われています。
しかしその後、両者の関係はねじれ、時に裏切りや絶縁とまで報じられる確執へと発展…今回はその経緯を振り返りながら、なぜ両者の関係がここまで複雑になったのかを紹介します。
キン肉マンが救った吉野家
吉野家は1970年代後半の無理な拡大路線から経営が悪化し、1980年には倒産の憂き目を見ました。
再建を模索する中で持ち込まれたのが、人気アニメ『キン肉マン』へのタイアップでした。
当時、アニメ化の際に吉野家が「ぜひ吉野家の牛丼にしてほしい」と依頼した際に快諾、主人公・キン肉マンが「早いの、安いの、うまいの」と歌いながら牛丼をかき込むシーンが全国に流れました。
この演出は爆発的な効果を生み、視聴率20%を超える人気番組の影響で、「牛丼といえば吉野家」と刷り込まれ、サラリーマン中心だった顧客層は一気に広がり、吉野家再建の大きな後押しとなったのです。
原作者・ゆでたまご(嶋田隆司氏、中井義則氏)は無償で協力しており、吉野家にとっては「恩人」だったと言えます。
永久無料どんぶり事件
ところが、吉野家の「お礼」は意外にささやかなものでした。
原作者・ゆでたまご氏に贈られたのは、高級牛丼の無料券3枚と永久でタダで食えるふれこみだった名前入りのどんぶりと湯呑みセットでした。
作者はこれを喜びつつも、後年フジテレビ『トリビアの泉』で「どんぶりを持参すれば本当に無料になるのか」を検証する企画が組まれ、原作者・嶋田氏自身が来店するも牛丼は無料にはならず、しかも客席は吉野家社員で埋められていたという演出も重なり、嶋田氏は「恩を仇で返された」と憤りを覚えました。
この出来事はネットを通じて「吉野家の裏切り」として語り継がれ、後の確執の象徴となります。
29周年コラボ拒否とすき家との提携
2008年、『キン肉マン』は連載開始29周年、通称「肉周年」を迎えた際に、発行元の集英社は「吉野家と記念コラボを」と提案しましたが、吉野家は「やる気はありません」と冷たく拒否します。
その代わりに名乗りを上げたのが、すき家を運営するゼンショーでした。
なか卯と業務提携していた同社は快諾し、「キン肉マン祭り」と題した大規模キャンペーンを展開、広告やCMにもキン肉マンが登場し話題をさらいました。
この展開に一部のファンは「すき家に寝返った」と批判しましたが、嶋田氏は2010年、自身のTwitterで「吉野家さんが断ったからすき家さんと組んだ」と真相を明かします。
ファンの間でも裏切りや絶縁といった強い言葉で語られることが多くなりました。
しかし一方で、嶋田氏は常に「吉野家を嫌いにならないで」とフォローの言葉を添えています。
「牛丼は国民食であり、食べるときにキン肉マンを思い出してくれたらうれしい」、この言葉にあるように作者の根底には牛丼そのもの、そしてそれを愛する人々へのリスペクトが残っています。
確執があったとしても、『キン肉マン』と吉野家が築いた文化的影響は揺るがず、牛丼が日本人の食卓に深く根付いた背景にはこの異色のコラボがあったからではないでしょうか…。
まとめ
吉野家と『キン肉マン』の関係は、倒産からの復活を支えた恩義から始まりました。
私たちが覚えておくべきなのは「牛丼とアニメの力が時代を動かした」という事実です。
作者は最後まで吉野家を嫌うことなく、牛丼文化そのものを愛する姿勢を見せています。
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