かつて都内のあちこちに店舗を構えていた『東京チカラめし』、最盛期には全国に130店舗を展開していたものの、気づけば見る影もなくなってしまいました。
な第4の牛丼チェーンとまで言われた東京チカラめしは、なぜ急激に姿を消していったのでしょうか…?
焼き牛丼が逆に裏目に?

東京チカラめしが登場したのは2011年、ちょうど東日本大震災後の混乱から立ち直ろうとしていた時期に、池袋で1号店をオープンしました。
運営は「金の蔵」などの居酒屋で知られる三光マーケティングフーズで、看板メニューは従来の煮る牛丼とは真逆の焼く牛丼でした。
甘辛ダレで炒めた牛肉を白ご飯にのせるスタイルは斬新で、焼肉定食のようなボリュームと香ばしさが支持され、一気に人気に火が付きます。
価格も当初は並盛280円という破格設定で、メディアにも多数取り上げられ、吉野家・松屋・すき家に次ぐ第4極として注目されました。
しかし、まさにこの焼きという工程が大きな足かせとなっていきます。
焼き牛丼は作り置きができず、注文ごとに鉄板で肉を焼く必要があり、ピーク時には提供時間が10分〜15分以上になることで、牛丼チェーン最大の武器である速さが完全に失われてしまったのです。
焼きにこだわるほどに、ファストフードとしての本質からズレていきました。
急拡大による人材・品質管理の限界
東京チカラめしは、たった2年で全国130店舗まで拡大しました。
チェーン展開において「ドミナント戦略(同一エリアに集中出店)」をとることで、ブランド認知を高め、競合の入り込みを阻止しようとしたのです。
しかし、拡大のスピードに対し、人材教育や調理オペレーション、物流インフラがまったく追いついていませんでした。
実際、現場では新人店長が多く、接客スキルや衛生意識の低さが問題となり、SNSや口コミでも不満の声が広がり始めました。
さらに、当時は中国産の米を使用していたことが悪印象を招き、「ご飯がまずい」というイメージが根付いてしまいます。
また、鉄板から発生する油煙で店内が油っぽくなりやすく、清潔感にも課題が残りました。
チェーン展開では「いつどこで食べても同じ味・同じ体験」が基本ですが、店によって味も見た目も違うという状態ではリピーターはつきません。
メニューの多さと声出し三全が裏目
東京チカラめしは、焼き牛丼に加え、唐揚げ、カレー、麻婆豆腐などのメニューを豊富に揃えていました。
一見魅力的ですが、これはオペレーションの複雑化を招き、店舗ごとの品質の差をさらに拡大させる結果になります。
また、「全員・全時間・全店舗」で元気な接客を推奨する『声出し三全』という文化も負担となりました。
全力で声を出し続けることをスタッフに求め続けた結果、疲弊する従業員が続出、「そこまでの元気さはお客も求めていない」「疲れてる日に行くと、逆にしんどい」といった意見もあり、スタッフの離職率上昇と顧客離れの原因にもなっていきました。
要するに、メニューが多すぎて難易度が高く接客も高負荷、これはファストフードでは致命的な構造です。
2014年以降は三光マーケティングフーズ自身が居酒屋事業に再注力し始め、チカラめしのリソースは縮小します。
2015年には68店舗がカラオケなどを運営するマックグループに売却され、その多くはラーメン店「壱角家」などに転換されました。
その後のコロナ禍では、飲食業界全体が打撃を受け、特にオフィス街型の立地が多かった東京チカラめしは客足が戻らず、2023年には関東最後の店舗・千葉県鎌ヶ谷店が閉店。
現在、日本国内で営業しているのは大阪・日本橋の1店舗のみです。
まとめ
東京チカラめしは「焼き牛丼」という斬新な切り口で一時代を築いたものの、ファストフードとしての根幹を見失ってしまいました。
チェーン展開において最も重要なのは、「いかに標準化・効率化を徹底できるか」、東京チカラめしの失敗は、その教訓を飲食業界に強く突きつけた事例と言えるでしょう。
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