明治時代に一時的に存在していた都道府県があったことをご存知ですか?
「根室県」と「磐城県」、この2つの県は、わずか数年という短い期間で姿を消してしまいました。
しかし、歴史を紐解くと、その背景には日本が近代国家を目指して大きく変わろうとした激動の時代が浮かび上がります。
なぜこれらの県は誕生し、そして消えてしまったのでしょうか?
今回は、そんな幻の都道府県について、皆さんと一緒に歴史をたどりたいと思います。
消えた都道府県|根室県
「根室県」は、明治政府が北海道の開拓を進める中で一時的に設置した都道府県の一つです。
明治2年(1869年)、日本は徳川幕府から明治新政府へと政権が移行し、全国的な行政区画の整備が急速に進められました。
その一環として、北海道にも「函館県」「札幌県」「根室県」という3つの県が設置され、北海道全土をそれぞれの県が管轄する形が取られました。
これを「三県一局時代」と言います。
根室県は、北海道の東部、現在の道東地域を中心とし、根室市や釧路市を含む広いエリアを担当していました。
この地域は、海に面した地理的な特性から、漁業が盛んで、当時は北方領土や千島列島といった日本の周辺地域の防衛・管理も重要視されていました。
しかし、広大な北海道を3つの県に分けて管理するには限界があり、行政の効率化が課題となってしまいます。
それからわずか13年後の明治15年(1882年)、政府は北海道の3県制を廃止し、「根拠地」という形で「函館・札幌・根室」を行政拠点としました。
そしてさらに1886年には北海道全土を管理する「北海道庁」が設立され、北海道の統治は一元化されることになります。
こうして根室県は姿を消し、「根室」という地名だけが残る形となりました。
消えた都道府県|磐城県
「磐城県」もまた、明治時代の一時期に存在した幻の県です。
戊辰戦争が終わり、1869年(明治2年)に旧幕府側の藩が解体された後、福島県東部と宮城県南部を中心とする地域に「磐城県」が設置されました。
この地域は、太平洋に面した沿岸部であり、農業や漁業が盛んなエリアとして知られていました。
特に、磐城県は旧磐城国と陸奥国の一部を統治し、太平洋を望む広い範囲を管轄していました。
しかし、明治政府は中央集権を進めるため、次第に小規模な県を統合して効率的に管理する方向へ舵を切ります。
1871年(明治4年)に実施された「廃藩置県」によって磐城県も廃止され、代わりに福島県や宮城県が設置されました。
現在でも、磐城という名称は福島県いわき市などの地名に残されており、当時の歴史を伝えています。
明治時代に短命だった県の背景
明治時代は、江戸時代の藩制度から新たな中央集権的な行政システムへ移行する過程で、全国的に「県」が設置されては廃止されるという動きが繰り返されました。
これらの動きには、全国を効率よく管理し、さらに開拓を進めるための合理化が求められていたことが背景にあります。
また、北海道開拓の一環として、政府は根室県のような特定地域の拠点を整備し、地域の防衛や開発を推進しました。
しかし、最終的にはより広域な一元化を目指して北海道庁が設置されることになります。
これにより短命に終わった根室県や磐城県といった県が姿を消し、現在の47都道府県の形に近づいていったのです。
まとめ
わずか数年で廃止された短命な都道府県ですが、その歴史には明治政府の国家建設への苦悩や試行錯誤が反映されています。
これらの県が消滅した背景には、日本が近代国家としての基盤を築こうとする過程での中央集権化、行政の効率化がありました。
現在でも「根室」や「磐城」という地名は残されており、明治時代の激動の歴史を私たちに伝えています。
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