アメリカ・カリフォルニア州に、住民よりも死者の数が圧倒的に多い町があることをご存じでしょうか。
その町は「コルマ」といい、わずか約1,500人の住民に対して、150万人以上の死者が眠る町として知られています。
死者の町・沈黙の町・魂の町とも呼ばれるこの地には、都市の発展と人間の死が交錯した、驚くべき歴史が隠されているのです。
1000対1の死者の町が生まれた理由
カリフォルニア州サンマテオ郡にあるコルマは、サンフランシスコの南に位置する小さな町です。
人口はわずか約1,500人ですが、その中に17を超える墓地と霊園があり、埋葬されている死者の数は150万〜170万人といわれています。
町のスローガンは「It’s great to be alive in Colma(コルマで生きているのは素晴らしい)」、皮肉にも感じられますが、死者に囲まれて生きるこの町の人々の誇りとユーモアが表れています。
では、なぜコルマが「死者の町」と呼ばれるようになったのでしょうか。
そのきっかけは、1914年1月14日にサンフランシスコ市が発令した墓地立ち退き命令にありました。
当時、ゴールドラッシュの影響で人口が急増したサンフランシスコでは、墓地が過密化し腐敗による悪臭や感染症の拡大など、公衆衛生の悪化が深刻な問題となっていました。
そのため市は、「市内での埋葬を禁止し、既存の墓地もすべて郊外へ移転させる」という決定を下したのです。
その受け皿として選ばれたのが、サンフランシスコから南へ約15キロ離れた農村地帯のコルマでした。
お墓の大移動と日本人共同墓地の誕生
サンフランシスコ市内にあった主要な墓地、ローレル・ヒル墓地、カルバリー墓地、マソニック墓地などから、数十万体の遺体が次々とコルマへ移されました。
しかしその作業は非常に過酷なもので、棺が壊れていた場合は中の遺骨を別の箱に移し替え、葬儀用の馬車でその日のうちにコルマへ運ばなければならなかったのです。
遺体の移送には1体あたり10ドルの費用が必要でしたが、支払えない遺族も多く無縁仏となった遺骨は共同墓地にまとめて埋葬されました。
夜になると辺りに強烈な死臭が漂い、作業員たちの間では「白い影を見た」「声が聞こえた」といった幽霊騒ぎも頻発したそうです。
この時代のコルマは、まさに生と死が交錯する町でした。
また、コルマには日本人共同墓地も存在します。
1902年、サンフランシスコで暮らす日本人移民たちは、差別的な理由で埋葬を拒否される事件をきっかけに、明治天皇からの御下賜金を受けて日本人専用の墓地を設立、日系社会の発展に貢献した多くの日本人や日系人が眠っており、今も現地のコミュニティによって手厚く管理されています。
今なお霊が出る魂の町
1914年の墓地移転から111年を迎える今もなお、死者と共に生きる町として知られています。
町には心霊現象の報告が絶えず、「夜中に馬車の音が聞こえる」「白い影を見た」などの幽霊目撃談が語り継がれています。
そんな不思議な歴史が観光客の関心を集め、コルマはアメリカで最も有名な墓地の町としても人気を集めているのです。
一方で、この町は死者だけの町ではありません。
1970年代以降、自動車ディーラーやホームセンターが次々に進出し、現在ではサンフランシスコ南部最大級の商業エリアとしても発展しています。
まとめ
1000倍もの死者が眠るこの町で、町のスローガン「コルマで生きているのは素晴らしい」は、まさにその象徴です。
コルマは、生と死が共存する不思議な場所として、今も静かにアメリカの歴史を語り続けているのです。
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