太平洋戦争の末期、サイパンの北に浮かぶ小さな島・アナタハン島で、男32人と女1人という異常な共同生活が始まりました。
彼らは外界から完全に遮断され、生きるための食料も尽きる極限状態の中で、次第に人間としての理性を失っていきます。
やがて唯一の女性・比嘉和子さんをめぐって殺し合いが起き、島は地獄と化しました。
「アナタハンの女王」と呼ばれた彼女は、本当に男たちを支配した悪女だったのでしょうか？それとも戦争に翻弄された犠牲者だったのでしょうか…。
漂流した32人の男と、たった1人の女
1944年6月、第二次世界大戦のさなか、北マリアナ諸島のアナタハン島には、南洋興発という会社の日本人社員・比嘉菊一郎さんと、その部下の妻・比嘉和子さん（当時24歳）が暮らしていました。
南洋興発はココナッツや砂糖を生産する民間企業でしたが、戦時下では事実上、軍の活動を支える存在でもありました。
そのころ、近海では米軍の攻撃によって日本の輸送船3隻が沈没し、そこに乗っていた若い乗組員たちが島へ漂着します。
こうして、アナタハン島には男32人と女1人という異常な環境が生まれたのです。
通信手段もなく、救援の見込みもない、彼らはヤシの実や魚、鳥、コウモリ、トカゲなどを食べながら生き延びるしかありませんでした。
衣服はすぐに朽ち、和子さんは腰ミノのような姿で生活することも多かったといいます。
極限の状況の中で、誰もが少しずつ心のバランスを崩し始めていきます…。
拳銃がもたらした権力と殺し合い
はじめのうち、男たちは協力し合いながら生活していました。
しかし、唯一の女性である和子さんをめぐる嫉妬や欲望が、次第に彼らの心を蝕んでいきます。
ある日、島の山中で墜落した米軍機B-29の残骸が見つかり、その中から拳銃が数丁発見され、島の力関係は一変します。
拳銃を手にした者が権力を握り、和子さんを「妻」として手に入れようとするようになったのです。
最初に銃を持った男は、彼女の保護者でもあった比嘉菊一郎さんを脅して撃ち殺しました。
そして和子さんは、その男の妻とされたのです。
しかし半年も経たないうちに、その男も不審な死を遂げます。
それからも夫の座は次々と入れ替わり、和子さんの周囲では争いが絶えず、6年間に及ぶ孤立生活の中で、13人が死亡または行方不明となりました。
やがて男たちは「争いが絶えないのは、和子がいるせいだ」と言い始め、島の空気はさらに険悪になっていきます。
女王か犠牲者か…
和子さんは、暴力と恐怖に支配された島で、生き延びるために男たちとの関係を繰り返していました。
それを男を操る魔性の女と見る人もいれば、生きるために従うしかなかった女性と見る人もいます。
次第に「和子を殺そう」という声が上がり始め、命の危険を感じた和子さんは脱出を決意、通りかかった米軍の艦艇に救助を求め、ついに助け出されました。
1950年、彼女は日本に帰還し、翌1951年には残る19人の男性が投降して事件は幕を閉じます。
彼女は「戦争に翻弄された悲劇の女性」として報じられましたが、のちに男性たちの証言が報じられると、マスコミは彼女を「アナタハンの女王」と呼び、悪女として描き出しました。
センセーショナルな報道が続き、和子さんは一夜にして時の人となっていきます。
しかし後年の研究では、彼女は権力を握った支配者ではなく、男たちの暴力の中で生きるしかなかった被害者だったのではないかとされています。
極限状態の中で理性を失ったのは、彼女ではなく戦争そのものだったのです。
まとめ
アナタハン島事件は、スキャンダルでも怪奇事件でもありません。
男たちの暴力も、和子さんが背負わされた女王というイメージも、すべては極限状況で崩壊した人間社会の縮図でした。
和子さんを責めるよりも、彼女をその状況に追い込んだ戦争の非情さを見つめ直すことこそ大切です。
アナタハン島の悲劇は、今もなお「人間とは何か」「戦争とは何か」を私たちに問い続けているのです。
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