大正時代は、明治時代の急速な近代化と昭和の激動に挟まれた、わずか15年という短い時代です。
しかし、この短い期間に日本の食生活と食文化は大きく変化しました。
西洋料理の普及、家族で食卓を囲む新しい生活様式、そして庶民にも手が届く多様なメニューが続々登場。
この時代がなければ、私たちが親しむ「カレーライス」や「コロッケ」、「カルピス」などの日本の味も誕生しなかったかもしれません。
大正時代の食文化革命
大正時代における食文化の変革は、時代背景と深く結びついています。
明治時代からの近代化の流れを引き継ぎ、政府は国民の体格向上を目指し、栄養学的視点からの改革を進めます。
さらに、第1次世界大戦中の経済好景気や都市化の進展が、食の多様性を推し進めました。
一方で、農村部との経済格差が顕著になり、庶民の間では食材の入手難や米価格の高騰が問題となります。
このような背景の中、大正時代には西洋料理が日本独自の工夫によって取り入れられ、庶民の生活に浸透していったのです。
食事が単なる生存のための手段から、楽しみや文化的な意義を持つものへと変化した時代と言えます。
そんな状況下で、食文化はどのように変化していったのでしょうか?
米騒動の発端と影響
大正時代の食文化を語る上で避けて通れないのが、1918年に発生した「米騒動」です。
この事件は、日本各地の庶民にとって大きな衝撃を与え、社会や経済、政治にも深い影響を及ぼしました。
米騒動の発端は、日露戦争後から続く都市化と人口増加により、米の需要が急激に高まったことにあります。
特に第1次世界大戦中、日本は戦争景気に沸きましたが、その影響で輸出が増え、国内の米供給が逼迫したのです。
さらに、富裕層が米を投機対象とし、米の価格を押し上げたことで、庶民の生活は一層困窮しました。
1918年、富山県魚津町で主婦たちが米の価格高騰に抗議したのを皮切りに、全国に暴動が拡大、わずか数ヶ月で騒動は日本各地に波及し、群衆が米問屋や役場を襲撃する事件が相次ぎました。
これにより、政府は警察や軍隊を動員して鎮圧に乗り出しましたが、最終的に約100万人が参加したとも言われる一大事件に発展したのです。
この騒動の影響で、寺内正毅内閣は総辞職を余儀なくされました。
また、米政策の見直しが行われ、米の流通管理や価格調整の仕組みが整備される契機となります。
米騒動は、庶民が政治や経済に影響を与えた初めての全国的な民衆運動とも言え、その後の日本社会における民主主義の進展にも影響を与えたとされています。
西洋料理の浸透と工夫
大正時代の食生活における最大の特徴は、西洋料理が一般家庭に普及したことです。
当時、日本人は牛肉やパンなどの西洋料理に抵抗感を持つ人が多く、必ずしも好評ではありませんでした。
明治時代には、牛肉やパンなどの西洋料理が「美味しくない」と敬遠されることも多かったのです。
そこで。日本人の口に合うようにアレンジされたのが、現代で言う「洋食」でした。
カレーライスは、福沢諭吉によって紹介されたものが元となり、具材が魚介類や鶏肉へと変化し、最終的にはご飯にカレーソースをかける形で定着。
家庭料理としても受け入れられ、世代を超えて愛されるメニューとなりました。
一方、コロッケはフランス料理のクロケットを基にして、日本では余ったパンを粉にし油で揚げる工夫が施されました。
このようにして日本人の食材や調理方法に適した形で変化し、経済的にも安価で手が届きやすい料理として普及したのです。
さらに、 天ぷらの技法を取り入れ、豚肉に衣をつけて揚げるスタイルが誕生、これが「とんかつ」となり、現在の日本の洋食文化の代表的存在となっています。
食堂文化の発展と庶民化
都市化が進む中で、百貨店のレストランや大衆食堂が登場し、西洋料理が手軽に楽しめる環境が整い始めました。
百貨店の食堂で「食品サンプル」や「食券制」が導入されたのは大正のこの頃です。
コメ騒動や関東大震災の後、大衆食堂が増加、ここではライスカレーや牛丼が庶民の胃袋を支える重要な存在となります。
こうした大衆食堂の存在は、日本全体の食文化の多様化を進める一因となったのです。
新しい飲料文化と洋菓子の台頭
この時代には、新しい飲料や洋菓子が日本人の生活に根付いていきます。
乳酸菌飲料「カルピス」は、モンゴルでの乳製品体験から着想を得た三島海雲が開発、暑い夏に爽やかに飲める飲料として広まり親しまれるようになりました。
特にコーヒーと洋菓子の組み合わせは、働く人々にとってリフレッシュの時間を提供する場となり、都市生活に欠かせない文化として広まりました。
森永製菓や明治製菓がチョコレートやキャラメルを発売し、庶民の間に浸透していきました。
またこの頃、西洋式の生活様式を取り入れる中で、家族が食卓を囲む「家族団欒」が推奨されました。
これにより、国民の栄養バランスが向上し、体格改善が進みます。
当時の記録を見ると、味噌汁や納豆、魚の煮付けなどの伝統食に加えて、野菜の煮物や新たな料理が家庭に取り入れられるようになりました。
この変化は、単に食生活だけでなく、家庭内の絆を深める機会にもなり、食卓を囲むことで家族同士の対話が増え、コミュニケーションが活発化、これが後の時代における家庭のあり方にも影響を与えたと言えるでしょう。
まとめ
大正時代は、食文化が劇的に変化した時代です。
この短い時代に起きた変革が、現在の日本の食卓に大きな影響を与えてると言えるでしょう。
西洋料理の日本化、庶民の間での普及、新しい飲料や洋菓子の登場など、この時代の取り組みが私たちの食生活の基盤を築きました。
私たちが今日当たり前に楽しむ食事の中には、大正時代の挑戦と工夫の結晶が詰まっているのですね。
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