メーテルのモデル!?明治時代の美女『楠本高子』その壮絶な生涯

メーテルのモデル!?明治時代の美女『楠本高子』その壮絶な生涯

昭和世代の懐かしのアニメ『銀河鉄道999』に登場するミステリアスな美人キャラクター「メーテル」は、実在した女性「楠本高子」がモデルだったと言われています。

楠本高子は、混血児としてその美貌と特異な容姿により注目されながらも、数々の困難に直面した女性でした。

母・楠本イネは産科医として医師の道を志していましたが、その母の影響を大きく受け、高子もまた不屈の精神で波乱の生涯を歩んだのです。

今回は、そんな楠本高子の波乱万丈な人生を紹介します。

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シーボルトの孫娘「楠本高子」の壮絶な人生

楠本高子
Via|(左)楠本高子(右)楠本イネ|Wikimedia (引用)

高子の祖父は、西洋医学を日本に伝えたシーボルト、祖母は長崎・出島で働いていた遊女・楠本滝でした。

シーボルトは滝に一目惚れし、二人の間に娘・イネが誕生します。

しかし、シーボルトが日本地図の国外持ち出しを企てた「シーボルト事件」により国外追放され、滝とイネは長崎に残されることとなりました。

混血児であった高子の母・楠本イネは、幼少期から差別を受けましたが、母の努力とシーボルトが送った医学書により勉強を続け、日本初の「女性産科医」となります。

ところが、イネが25歳のとき、医師であった師匠・石井宗謙に性的暴行を受けました。

その結果、イネは子を授かり出産、その子が「高子」です。

石井は結婚を申し出ましたが、イネはこれを断固拒否し、シングルマザーとしての道を選びました。

楠本高子の人生

母イネは「天がただで授けた子」という意味で、彼女を「タダ子」と名付けました。

高子は幼少期、母イネの忙しい医師としての生活のため、長崎で祖母・楠本滝のもとで育てられました。

祖母滝は遊女として出島で働いていた経験を持ち、その後の人生でも多くの困難を乗り越えてきた女性で、高子に対して、お琴や三味線などの日本文化を学ばせ、幼い頃から美しい所作と芸事を身に付けさせました。

この期間、高子は幼少ながらも芸術的な才能を発揮し、その端麗な容姿とともに周囲の人々を魅了していたと言われています。

一方、母イネは娘が医師としての道を歩むことを期待していましたが、高子の芸事への情熱に複雑な思いを抱いていたようです。

しかし、母から引き継いだ美貌と混血ゆえの独特な容姿は高子にも波乱をもたらすことになります。

14歳になると、高子は宇和島藩主・伊達宗城の配慮により、宮中で奥女中として仕えることになりました。

この頃から「高子」という名前を与えられ、次第に洗練された女性へと成長していきます。

やがて、二宮敬作の紹介で甥の医師・三瀬諸淵(周三)と結婚。

三瀬諸淵は後に大阪大学医学部の前身となる学校の設立に関わるなど、近代医学の普及に尽力した人物でした。

二人は夫婦仲睦まじく過ごしましたが、子供に恵まれないまま、結婚10年目の明治10年(1877年)諸淵が他界してしまいます。

夫を亡くし失意の中、高子は母イネの後を追う形で東京に向かうことを決意します。

しかし、この移動中の船内で医師の片桐重明による性的暴行を受けるという、母イネと同じ悲劇が起こるのです。

この事件により、高子は妊娠、結果的に子供を出産、産まれた子供は、亡き夫・三瀬周三へちなんで「周三」と名付けられます。

この出来事は、高子に大きな精神的苦痛を与えたものの、母としての責任を果たす覚悟を決めるきっかけにもなったのです。

出産後、高子には再び人生を変える出会いが訪れます。

それは医師の山脇泰助との再婚でした。

山脇は、高子が他の男性との子供を身ごもっていることを知りながらも、彼女への想いを貫き、結婚を申し出ました。

山脇との結婚生活は穏やかで、一男二女を授かりましたが、山脇もまた7年後に病で他界してしまいます。

山脇の死後、高子は東京で母イネとともに暮らし始めました。

母イネは医師として活躍を続ける一方で、高子は幼少期から熱心に取り組んでいた芸事の才能を活かし、教授をして生計を立てました。

昭和13年(1938年)86歳でこの世を去るまで、高子は多くの困難を乗り越えながら、自らの道を切り開き、その美貌と気品は、多くの人々の記憶に深く刻まれています。

晩年、高子は自身の人生を振り返り、「祖母も母も、そして私自身も波乱に満ちた人生を生き抜いてきた」と語ったと言われています。

メーテルと高子の共通点

昭和世代のアニメ『銀河鉄道999』に登場するミステリアスな美人キャラクター「メーテル」は、実在した女性・楠本高子がモデルだったと言われています。

松本零士さんは、自身の作品に登場する理想的な女性像として「切れ長の目と細い顎の美人」を描き続けていましたが、明治維新前後に撮影された一枚の写真を見た時、楠本高子の肖像写真を見て、「この女性こそ、自分がずっと思い描いていた女性だ」と驚いたと語っています。

高子の写真を見て感じた「美しさの衝撃」は、メーテルの哀愁を帯びた眼差しにも反映されていると言えるでしょう。

まとめ

楠本高子の生涯は、美貌と混血ゆえの宿命に翻弄されながらも、強く生き抜いた波乱に満ちたものでした。

また、その生涯は、明治時代の女性の生き方や社会的地位の変遷を考える上で、貴重な示唆を与えてくれます。

彼女の強さや美しさは、今もなお多くの人々の心に生き続けています。

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