日本各地には、古くから「決して足を踏み入れてはならない」と伝えられる場所が存在します。
これらの禁足地には、歴史的背景や伝承が絡み合い、現代でも人々の興味を引きつけています。
今回は、その中から特に有名な2つの禁足地を紹介します。
新開の森
新開の森は、滋賀県近江八幡市にある新開の森には、恐ろしい伝説が語り継がれており、地元の人々からは、別名「シガイの森」と呼ばれています。
新開の森は、かつて織田信長が処刑場として使用していたといわれており、戦国時代、裏切り者や反乱者など多くの人々が命を落とした場所で、この森で処刑され彼らの怨念が森を彷徨っていると言われています。
特に有名なのが、安土城下で宗教論争を引き起こした二人の宗教家は、信長が仲裁に入り事の収束を命じるも、それを聞かずに論争を続けた事で、激怒した信長が見せしめの意味を込めて新開の森で処刑した言われています。
その二人を供養するために建てられた祠も、森の奥に今も存在しています。
処刑された者たちの「怨念が宿る森」とされ、地元の人々は昔からむやみに近づくことを避けてきました。
また、この森の木を切ろうとした者や、開拓しようとした者が原因不明の病で亡くなったという話も伝えられています。
新開の森で報告される怪奇現象
新開の森を訪れた人々が体験する異変として、さまざまなものが報告されています。
- 森の中を歩いていると、後ろから視線を感じる…しかし、振り返ると誰もいない。
- 木々の間に白い人影が立っているのを見た人が複数いるが、近づくと消えてしまうという話。
- 静かな森の中から、はっきりとした人の声が聞こえたが、誰もいなかったという証言。
- 写真を撮ると、人の顔のようなものが映ることがあるという噂。
このような異変は、霊的な影響によるものなのか、それとも森の湿気や磁場の影響なのかは分かっていません。
しかし、地元の人々の間では「新開の森には何かがいる」という言葉が長年語り継がれており、夜に近づくことは極めて危険だとされています。
八幡の藪知らず
千葉県市川市にある「八幡の藪知らず」は、非常に狭い森でありながら、日本でも屈指の禁足地として知られています。
この森は、数百年にわたって「入った者は二度と戻れない」という伝説が語り継がれているのです。
現在の八幡の藪知らずは、18メートル四方ほどの小さな敷地の雑木林ですが、かつては竹や松などの木々が生い茂る大きな林だったとされています。
江戸時代にはすでに現在の大きさになっており、その頃から「神隠しの場所」として有名でした。
八幡の藪知らずが禁足地とされた理由には、いくつかの説があり、平将門の霊を鎮めるためにこの森が作られたという説、江戸時代以前この森で罪人の処刑が行われていた説、異界と現世の境界にある説、など幾つもの説が語られています。
実際に起きた怪奇現象と神隠し事件
この場所に関する不気味な話は多く語られています。
- 好奇心で足を踏み入れた者が行方不明になるという噂。
- 森に足を踏み入れた後、急に様子がおかしくなり、しばらく呆然としていたという事例。
- 森に入ると、数分しか経っていないはずなのに、数時間が経過していたという証言。
この時間の感覚のズレは、異界と現実の狭間に迷い込んでしまったからなのか、それとも単なる心理的な影響なのかはわかりません。
しかし、八幡の藪知らずでは、このような「時間の狂い」に関する話が多数存在しているのです。
有名な話として、水戸黄門として知られる「徳川光圀」が神隠しに遭ったという伝説があります。
光圀は、神隠しの噂を聞き、藪に入った所、迷って出られなくなってしまいました。
その後、光圀は謎の白髪の老人に出会い、「戒めを破って入るとは何事か、汝は貴人であるから罪は許すが、以後は戒めを破ってはならない」と、戒めを受けて脱出したと言われています。
この出来事がきっかけで、光圀はこの場所を禁足地とするよう命じたと言われているのです。
他にも、ヤマトタケルが率いた軍が拠点を置いていたという伝説や、平将門の墓であるという説もあります。
八幡の藪知らずは、現在も柵に囲まれており、地元住民は決して立ち入らない、「ここには何かが封じられている」「絶対に入るな」という忠告が今も語り継がれています。
この場所が禁足地として守られているのは、ただの迷信ではなく、何かしらの理由があるのかもしれません。
まとめ
日本には、科学では説明できない禁足地が存在しており、怨霊や神隠しなど、今でも立ち入りが禁止されている場所が多くあります。
興味本位で近づくことは絶対に避けましょう。
このような禁足地は、単なる怖い話ではなく、日本の歴史や信仰を深く理解するきっかけになるのではないでしょうか?
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