救難信号もない、破損もない、船だけが静かに進んでいた…船名は「メアリー・セレスト号」。
だが乗員は全員、忽然と姿を消していました。
まるで一瞬で人間だけが消えたかのような現場に、世界中が震撼したのです。
メアリー・セレスト号事件とは?

1872年12月、ポルトガル沖の大西洋を航行中だった商船「ディー・グラツィア号」が、一隻の帆船を発見します。
風を受けて航行しているように見えるその船は、「メアリー・セレスト号」でした。
しかし、近づいてみると船からは応答がなく、不審に思った乗組員が乗り込んだところ、そこには誰ひとりとして人間の姿がなかったのです。
この船には、船長のベンジャミン・ブリッグス、その妻と2歳の娘、そして乗組員7名が乗船していた記録が残っています。
つまり、合計10人が忽然と姿を消したということになるのです。
異常な光景と不可解な点の数々
船内の状況はさらに不可解でした。
- 食料や飲料水は十分に残っていた
- 船体に大きな損傷はなく、帆も部分的な破損のみ
- 家計時計は止まっており、羅針盤は壊れていた
- 貴重品や荷物も手つかずのまま
- 救命ボートは1隻だけがなくなっていた
しかも、船倉には約1メートルの海水が浸入していましたが、致命的な浸水ではなく、航行可能な状態だったといいます。
つまり、人がいなくなった理由がまったく見当たらなかったのです。
この「完璧に近い無人船」の発見は、当時の海運業界と報道界に大きな衝撃を与えました。
これだけでも謎は十分すぎるほどですが、さらに不気味な噂も存在します。
それは、船内に「私は好きにした。君たちも好きにするがいい」という意味深な置き手紙があったというのです。
これは公的な調査記録には残っていませんが、後年になって都市伝説的に語られるようになりました。
真相をめぐる仮説と有力な説
事件以降、さまざまな仮説が提唱されてきました。
ここでは代表的なものをご紹介します。
① 自然災害による避難説
突然の嵐や津波など、自然災害によって一時的に避難したが、そのまま船に戻れなかったという説です。
しかし、海は比較的穏やかであったという証言や、船に深刻な損傷がなかったことから、信ぴょう性は薄いとされています。
②海賊襲撃説
海賊によって襲われ、乗員が連れ去られたという説もあります。
ですが、船内の物資や貴重品がそのままだったこと、争った形跡もなかったことから、こちらも否定的な見解が多いです。
③船内暴動説
乗員間で何らかのトラブルが発生し、殺し合いの末に全滅したという説もあります。
しかし、血痕や戦闘の形跡が皆無だったため、物理的な証拠に乏しい仮説です。
④バミューダ・トライアングル説
メアリー・セレスト号が「魔の三角海域」に迷い込んだという説も存在します。
ただし、実際の発見場所はバミューダ・トライアングルから外れており、超常現象として語られがちな仮説です。
最も有力とされる「アルコール蒸発説」
現在、最も有力とされているのは、積み荷であった工業用アルコールの蒸発が原因となった説です。
メアリー・セレスト号には、計1700樽のアルコールが積まれており、そのうち9樽が空になっていたと記録されています。
このアルコールは飲用ではなく、揮発性の高い危険物でした。
樽の劣化により気化したアルコールが船内に充満し、爆発の危険を感じた船長が、一時的に避難を決断した可能性があります。
しかし、ボートで避難した後に何らかの理由で本船に戻れず、そのまま遭難したとすれば…説明はつきます。
実際、翌年にはスペイン沿岸で遺体が漂着しており、それがメアリー・セレスト号の乗員である可能性も指摘されました。
なぜ都市伝説として語られるのか?
この事件がいまだに「都市伝説」として語り継れる背景にはいくつかの要素があります。
- 完全に無人だったにもかかわらず、船はほぼ正常だった
- 人間だけが忽然と消えたこと
- 最終的な証拠や遺体が公式に確認されていないこと
- 文学的・創作的な影響
とくに、アーサー・コナン・ドイルがこの事件をフィクションに取り入れ、大胆に脚色したことが大きな影響を与えました。
これにより、実際の史実と創作が入り混じることとなり、幽霊船というイメージが広まったのです。
さらに、40年後に発見されたという船員の手記には、実在しない名前や不自然な記述が多く、真偽不明のまま謎だけが積み上がっていきました。
まとめ
メアリー・セレスト号事件は、150年以上経った今も真相が解明されていない未解決のミステリーです。
事実と仮説、そして想像が交錯するこの事件は、単なる事故以上の物語として語り継がれています。
真実はすでに海の底に沈んでいるのかもしれません…。
だからこそ私たちは、この幽霊船の謎に今なお心を惹かれてしまうのではないでしょうか…。
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