「愛の力」が戦争の勝敗を左右した例を知っていますか?
恋人と共に戦場に立ち、相手を守るために死力を尽くす、そんな絆が軍隊の戦闘力を最大限に引き出すとしたら…?
今回は古代ギリシャに実在した、同性愛者だけで構成された精鋭軍「神聖隊(しんせいたい)」の物語をご紹介します。
歴史に名を刻んだ彼らの生き様は、現代にも通じる「愛の力」の可能性を私たちに教えてくれます。
愛と忠誠で結ばれた軍隊

神聖隊(ヒエロス・ロコス)は、紀元前378年に古代ギリシャの都市国家テーバイで誕生しました。
設立者はテーバイの将軍ゴルギダスで、軍事的脅威だったスパルタに対抗するための国費で養われた常備軍として編成されました。
構成員はすべて男性同性愛者のカップル150組=300人、選抜は身分によらず、兵士としての実力と人望に基づいて行われました。
20歳前後の若者が主力で、30歳を過ぎると体力の衰えから除隊となったといいます。
ここで重要なのは、なぜ恋人同士を軍隊にしたのかという点です。
それは古代ギリシャ、とりわけテーバイが、男性同性愛を精神的にも文化的にも高尚なものと考える社会だったことにあります。
英雄ヘラクレスが甥のイオラウスを愛したという神話の影響もあり、テーバイでは同性愛は「教育・導き・忠誠」の延長にありました。
プラトンも「国や軍隊が恋人たちで構成されていれば、最も強いものとなる」と記しています。
神聖隊は単なる恋愛関係ではなく、師弟関係・精神的な愛・実戦力をすべて融合した理想的な戦士モデルとして誕生したのです。
最強の証明
神聖隊は、思想だけでなく、実際の戦闘でも驚異的な強さを発揮しました。
最初の戦果として知られるのが、紀元前375年の「テギュラの戦い」、この戦いでは、神聖隊300人がスパルタの重装歩兵1800人に対して勝利を収めています。
実に6倍の戦力差を覆したのです。
そして彼らの名を不動のものにしたのが、紀元前371年「レウクトラの戦い」です。
テーバイを中心としたボイオチア連合軍は、兵力で不利な状況でしたが、「斜線陣(ロクセ・ファランクス)」という画期的な戦術を採用、通常右側に置かれる主力部隊を左翼に配置し、敵の強力な右翼を一点突破する形を取りました。
その先頭を担ったのが神聖隊です。
彼らは鉄壁のスパルタ軍の心臓部を突破し、戦線を混乱させギリシャ全土にスパルタ不敗の神話を打ち砕く衝撃を与えました。
彼らの勝因は、「恋人を守るために死をも恐れぬ」その結束力と士気の高さ、愛を動機にすることで友情や忠誠を超える「戦闘への覚悟」が生まれたのです。
最後まで戦い抜いた誇り
神聖隊の最期は、紀元前338年の「カイロネイアの戦い」に訪れます。
この戦いでテーバイ・アテネ連合軍は、マケドニアの王ピリッポス2世とその息子アレクサンドロス(後の大王)が率いる圧倒的軍勢と対峙しました。
敵の兵力は3万超、連合軍は1万未満、さらにピリッポスは若き日にテーバイに人質として滞在し、神聖隊や斜線陣の戦術を間近で学んでいたのです。
彼はそれらを発展させたマケドニア式ファランクスと長槍「サリッサ」で武装し、完全に戦術で上回っていました。
戦況が不利になる中、テーバイ兵の多くは退却しましたが、神聖隊だけは一人も逃げることなく最後まで戦い続けました。
結果、300人中254人が戦死、死者は7列に整列した状態で埋葬され、その規律と忠誠の象徴として語り継がれます。
ピリッポス2世はその光景に胸を打たれ、敵でありながら彼らを称賛し、戦場に「カイロネイアのライオン像」を建立して弔ったといわれています。
しかしその後、キリスト教の価値観が支配的になると、神聖隊の「同性愛的性質」はタブー視され、歴史から抹消されていきました。
性病の蔓延や同性関係への偏見から、神聖隊は「退廃的」と断罪され、忘れ去られていったのです。
それでも19世紀の発掘調査により、実在が考古学的に証明され、近年ではLGBTQ+の歴史的先駆けとして世界中で再評価されています。
まとめ
神聖隊は、単なるロマンチックな軍隊ではありませんでした。
愛という人間最大の感情を、戦略として最大限に活用した精鋭集団、その愛は、実際にスパルタ軍を撃破し、ギリシャの歴史を動かしたのです。
彼らの行動は、今を生きる私たちにこう問いかけているのではないでしょうか…「本当の強さとは何か?」「愛する人のために、あなたはどこまでできるのか?」。
時代を超えて語り継がれる神聖隊の物語は、戦史だけでなく、人間の可能性の物語でもあります。
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