え、FBI設立のきっかけとなった!?社会の敵No.1と言われた男の正体とその驚くべき影響力とは?

ジョン・デリンジャー

国家が一人の男を捕まえるために「FBI」を本格始動させた、そんな信じがたい話が実際にアメリカで起きました。

その男の名は「ジョン・デリンジャー」、1930年代の大恐慌下で銀行を次々に襲い、警察を翻弄し時には庶民から英雄視された犯罪王とは…。

今回は、アメリカの警察制度の限界を浮き彫りにし、連邦捜査機関の誕生にまで影響を与えた、ジョン・デリンジャーの生涯とFBIとの攻防を紐解きます。

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社会に見捨てられた少年が犯罪王になるまで

ジョン・デリンジャー
Via|Wikipedia @wikipedia.org(引用)

ジョン・ハーバート・デリンジャー・ジュニアは1903年、インディアナ州インディアポリスの中でも労働者階級が多く住む地域で生まれました。

母親を幼くして亡くし、厳格な父親、そして反りが合わない継母という環境下で育った彼は、10代に入ると反抗心をあらわにし、窃盗や暴力事件に手を染めるようになります。

一度は海軍に入隊するもすぐに脱走、就職もままならず若くして結婚するも生活は困窮、やがて彼は生きるために食料品店を襲撃し初犯で逮捕されます。

父の助言で罪を認めるも、判決は予想を遥かに超える10年以上の懲役刑でした。

この時、デリンジャーは悟ります、「正直者は損をする」と…。

彼が服役した刑務所は、まるで犯罪者の大学のような場所、そこではベテランギャングたちと出会い、銀行強盗の計画から逃走経路の確保まで、あらゆるノウハウを学んでいきます。

服役中の彼はこう語っています。

「出所する頃には、俺は一流の悪党になっているだろう。」

1933年、大恐慌の最中に仮釈放されると、彼はすぐさま仲間を脱獄させて犯罪集団を結成、「デリンジャー・ギャング」の誕生です。

わずか数ヶ月で12件以上の銀行強盗を成功させ、現在の金額にして数億円相当の金を奪う手腕は、まさにプロフェッショナル犯罪者でした。

銀行強盗から英雄へ?デリンジャーと庶民の複雑な関係

デリンジャーの強盗には信念がありました。

それは「市民からは一銭も奪わない」こと。

彼のターゲットは常に銀行の金庫だけであり、客の財布には一切手を出しませんでした。

この姿勢が、義賊としてのイメージを生み、一部の庶民からは賞賛の声すら上がります。

実際、銀行の債券を焼き捨てて、貧困層の借金をチャラにしたこともあったとされ、「あの人は命の恩人だ」と語る一般男性の記事が新聞に掲載されたこともあります。

しかし、その裏で彼は警察署を襲撃し、武器・弾薬・防弾チョッキまでを強奪するなど、国家権力への明確な挑戦を繰り返していました。

そんな中、1934年1月にはイーストシカゴの銀行で銃撃戦を起こし警察官を射殺、義賊から危険な殺人犯へと立ち位置は大きく揺らぎ始めていきます。

その後も模造銃での脱獄や、女性保安官から公用車を奪って逃走するなど、各州の警察組織を嘲笑うような行動を続け、ついには手がつけられない存在へと変貌していきます。

この男がFBIを生んだ、連邦捜査局の誕生と国家の総力戦

ここで登場するのが、現在のFBI(Federal Bureau of Investigation)です。

当時のアメリカでは警察が州ごとに分かれており、州境を越えた犯罪者を追跡する法的な仕組みが存在していませんでした。

そのため、デリンジャーのように州をまたいで逃げ回る犯罪者を取り逃がすケースが相次いでいたのです。

これに対して司法省は、既存の捜査機関DOI(Bureau of Investigation)を再編成し、アメリカ全土に捜査権を持つ連邦捜査局「FBI」を設立、その最初の標的が、ジョン・デリンジャーだったのです。

FBIはデリンジャーを「Public Enemy No.1(社会の敵ナンバーワン)」に指定、懸賞金は情報提供者に5,000ドル、逮捕者には10,000ドル、これは現在の価値で換算すると数百万円にも及ぶ巨額であり、FBIが本気で国家を守るために国民全体に呼びかけた証しでもあります。

一方のデリンジャーは、自らの顔を整形し指紋を焼き潰し、あらゆる手段を用いて逃走、さらにはシカゴのマフィアに匿ってもらおうとするも拒否され、絶望の中で「逃げ切るための最後の手段」を選ぶようになります。

裏切り、そして伝説の終幕

1934年7月22日、デリンジャーはガールフレンドのポリーと、顔なじみである売春宿経営者アンナ・セージと共に、シカゴのバイオグラフ劇場を訪れました。

上映されていたのは、ギャング映画『男の世界』、皮肉な選択でした。

しかし、その時すでに終わりは始まっていたのです。

アンナは、FBIに情報を売っていた密告者、売春宿の摘発と自身のルーマニアへの強制送還を恐れての決断でした。

FBIはアンナに「赤いドレスを着て目印になれ」と命じ、劇場周辺に捜査官を配置、その合図が発せられた瞬間、デリンジャーは銃弾を浴び路上で絶命します。

死の直後、彼の血を染み込ませたハンカチを記念として持ち帰る者、墓石を削り取る者が続出し、まるでロックスターのような扱いを受けることもありました。

「赤いドレスの女」はその後アメリカ社会において「破滅をもたらす女」の代名詞として定着し、FBIの権威も一気に高まることとなったのです。

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まとめ

ジョン・デリンジャーは、大恐慌という時代背景の中で、国家制度の隙を突いて跳梁跋扈し、FBIという「アメリカ史上最も重要な捜査機関」誕生のきっかけとなった存在となりました。

Public Enemy No.1と呼ばれながらも、庶民に希望や興奮すら与えたそのカリスマ性は、今なお語り継がれています。

正義と悪の境界が揺らぐとき、国家は誰を敵と定め何を守るのか、デリンジャーの物語は現代の私たちにもその問いを突きつけているのではないでしょうか。

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