全国でも異例、県境に「危険につき関係者以外立入禁止」という看板が50年ものあいだ立ち続けている場所があります。
しかもその先には、日本の産業史を支えた巨大鉱山の跡地と、誰もが息をのむような絶景が広がっていたのです。
今回は、群馬県と長野県の境にある毛無峠にまつわる歴史と、なぜ今もなお立入禁止なのかを紹介します。
毛無峠とは?
毛無峠(けなしとうげ)は、長野県高山村と群馬県嬬恋村を結ぶ「県道112号 大前須坂線」の終点に位置する標高約1,823mの山岳峠です。
その名の通り、周囲には木がほとんどなく、ハゲ山のような荒涼とした景観が広がっており、「毛がない=毛無」という名称が付けられました。
実際、この峠一帯は風が非常に強く、冬場には雪が積もってもすぐに吹き飛ばされてしまうため、木々が育ちにくいのです。
地元では昔から秘境とされており、峠の頂上に立つと北信五岳や志賀高原、浅間山方面まで一望できる圧巻のパノラマビューが広がります。
現在は長野県側からのアクセスのみ可能で、群馬県側へは通り抜けできません。
なぜ群馬県側は立入禁止なのか?
問題は、毛無峠から先、群馬県側に足を踏み入れようとした瞬間に始まります。
そこには「この先、群馬県 危険につき関係者以外立入禁止」と書かれた、重々しい警告看板と通行止めの柵が設置されています。
これが半世紀ものあいだ撤去されず残っているのには深い理由があります。
群馬県側には、かつて小串硫黄鉱山という日本第二の規模を誇る巨大鉱山が存在していました。
この鉱山では、火薬や肥料、繊維製品の原料として必須だった硫黄が採掘されており、最盛期には2,000人以上が生活していたとされています。
索道(ロープウェイ)で物資を運び、峠の下には社宅、小中学校、病院などが整備されていました。
しかし1937年、この鉱山で日本鉱山史に残る大惨事が起きます。
長年の硫黄採掘によって山の補水能力が失われ、さらにアリュー酸ガスの影響で森林が消滅。
その結果、大雨により山が崩壊し、幅30~500m、長さ700m~1kmにも及ぶ山体崩壊と精錬所の大爆発が発生し、245人が犠牲になり施設は壊滅状態となりました。
その後も度重なる災害と戦争による経済統制、さらには1960年代に進められた環境対策の一環で「回収硫黄」が主流になると、鉱山としての役割を終え1971年に閉山しました。
今も地中から有毒ガス(二酸化硫黄など)が発生しているとされており、群馬県は安全対策として県道の通行を永久封鎖しました。
しかし、この立ち入り禁止区域には、看板しかないため入り込もうとする人もいますが、実際ネット上には、毛無峠の立ち入り禁止区域に入り遭難した人の遭難記が残されています。
廃墟の先に広がる異世界
立入禁止区域の直前、長野県側から到達できる毛無峠は、まさに異世界のような風景です。
峠からは、広大な盆地のように開けた群馬側の小串鉱山跡を見下ろすことができ、かつてこの地に巨大な産業都市があったとは信じられないほど静かで空虚な空間が広がっています。
空気は澄み、風は強く、遠くの山並みまで一直線に見通せる絶好のロケーション。
また、毛無峠は雲海・星空・紅葉・野生動物の目撃スポットとしても密かな人気を誇っています。
写真愛好家やドローンユーザーからは「この世の果て」「文明が途絶えた場所」などと評されることもあります。
ただし、天候の急変や携帯電波の不安定さ、クマの出没など注意点も多いため、訪れる際はしっかりとした装備と事前情報の確認が欠かせません。
長野県からは行けるのか?
現在、毛無峠へ行けるのは長野県側からのみです。
ルートとしては、長野県須坂市から高山村経由で県道112号線(大前須坂線)を通り、峠までアクセスが可能で、Googleマップでも確認できますが、峠を越えて群馬県側へ通り抜けることは不可能です。
道路は荒れ気味で、カーブも多く、冬季は積雪により閉鎖されるため、訪問時期は夏~秋がおすすめです。
なお、峠付近には数台分の駐車スペースもありますが、整備された観光地ではないため、ゴミの持ち帰りやマナーの順守は必須です。
まとめ
毛無峠に立つ「立入禁止」の看板は、ただの冗談や秘境ネタではありません。
その裏には、かつて日本を支えた硫黄産業の栄光と悲劇、そして環境破壊と再生の歴史が静かに横たわっています。
現在は、風化しつつある廃鉱と圧倒的な自然の中で、都市生活では味わえない時間が流れています。
それは、「なぜここが立入禁止なのか」を知った人にこそ見てほしい、切なくも美しい絶景なのです。
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