アフリカ北西部に位置するモーリタニアは、砂漠と大西洋に囲まれたこの国で、人口およそ300万人、国土の約9割が砂漠という過酷な環境です。
そんなモーリタニアが、ある日本人の登場によって国の未来を変えることになりました。
その人物こそ、中村正明さん。
彼がモーリタニアで起こした奇跡のような物語を紹介します。
独立したばかりのモーリタニアは貧困のどん底だった

モーリタニアは1960年にフランスから独立しましたが、産業がなく国民の多くは貧しい生活を強いられていました。
そんな中、日本政府が支援を決定、当時、JICA(国際協力機構)や海外漁業協力財団の一員だった中村正明さんが、モーリタニアに派遣されました。
彼が現地で目にしたのは、豊かな海があるのに漁業がまったく発展していない国の姿。
モーリタニアの人々は羊やラクダの肉を主食にしており、魚を食べる文化がなかったのです。
「この国には絶好の漁場があるのに、誰も魚を獲らないなんてもったいない!」
そう考えた中村さんは、住民を集めて漁業の必要性を説きましたが、「魚なんて売れるわけがない」と誰も興味を持ちません。
住民たちは時間に縛られない生活をしており、朝4時の集合も誰一人来ません。
「なんでわかってもらえないんだ…」それでも諦めず、一人ひとりに漁業の価値を伝え続け、3ヶ月後ようやく3人が興味を持ってくれたのです。
こうして、モーリタニアの漁業プロジェクトがスタートしました。
「悪魔の使い」タコが国を救う
しかし、小さな船しか用意できず、漁の成果はなかなか上がりません。
そんなとき、中村さんは海岸に捨てられたタイヤの中に生きたマダコを発見します。
「これだ!」モーリタニアの海には、良質なマダコがたくさんいることに気づいたのです。
すぐにタコ漁を提案しましたが、住民たちは「タコは悪魔の使い」として忌み嫌い、触ることすら拒否!
「あなたたちが食べなくても、日本に輸出すればいいんです」そう説得し、日本からタコ壺を取り寄せて漁を開始しました。
初日から20匹のマダコが獲れ、なんとその売上は当時のモーリタニアの平均月収4ヶ月分に相当する額になったのです。
「こんなにもらっていいのか?」驚く住民たちに、「もちろんだ。君たちが稼いだお金だからね」と中村さんは微笑みました。
その瞬間、人々の意識が変わったのです。
たった一人の日本人が国を動かした!
タコ漁が軌道に乗ると、収入は公務員の5倍以上に達し、漁師になりたい人が続出。
さらに、タコ壺の製造工場が20カ所以上誕生し、漁業以外の仕事も生まれました。
現在、モーリタニアの水産物輸出の86%がタコ、日本が輸入するタコの35%を占め、年間100億円以上の外貨を生み出すまでに成長しました。
モーリタニア政府は、日本の遠洋マグロ船団を特別に自国の海域に入れる許可を出すなど、日本との絆を大切にしています。
2011年には、モーリタニア大統領が中村さんに「国家功労勲章」を授与し、彼は国の英雄となりました。
今でもモーリタニアには「ナカムラ」や「マサアキ」という名前の子供がたくさんいます。
文化も言葉も違う国にたった一人で飛び込み、国の未来を変えた中村さんの存在は、まさに「日本とモーリタニアをつなぐ架け橋」だったのです。
震災のとき、モーリタニアが見せた日本への恩
2011年、東日本大震災が発生したとき、遠く離れたモーリタニアの人々が日本のために動きました。
平均月収が約7000円ほどの国で、一人の男性が日本大使館に寄付をしに来たのです。
その額は5000ウギア(約1700円)。
「あなたの名前は?」と聞かれると、彼は「私は日本の友人です」とだけ答え、その後も多くのモーリタニア国民が寄付を申し出て、総額はなんと4570万円にもなったのです。
なぜ、ここまで日本を想ってくれたのか…その答えは、50年以上前の日本人の一人の存在だったのです。
まとめ
日本とモーリタニアの深い絆は、一人の日本人の行動から始まりました。
中村さんがいなければ、モーリタニアの漁業は生まれず、今の経済発展もなかったかもしれません。
タコ漁の成功によって国の主要産業が生まれ、今では日本との貿易関係も強固になっています。
日本の食卓でモーリタニア産のタコを見かけたら、この奇跡の物語を思い出してみてください。
そして、困っている誰かを助けることが、いつか大きな恩返しにつながるかもしれませんね。
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