今の女優さんも素敵だけど、昔の女優さんの美しさって格が違うよね…そんな声、耳にしたことがありませんか?
昭和には、まるでスクリーンの中で永遠に輝いているような、伝説級の美貌を持つ芸能人が数多く存在しました。
今回はその中でも、特に多くの人の記憶に残り続けている6名を紹介します。
彼女たちが残した美しさと華麗なキャリアを、今だからこそ改めて感じてみてくださいね。
夏目雅子

- 誕生日|1957年12月17日
- 代表作|『西遊記』『鬼龍院花子の生涯』『瀬戸内少年野球団』
涼しげな目元と儚げな存在感で、昭和後期の芸能界を駆け抜けた夏目雅子さん。
資生堂のCM出演をきっかけに注目を集め、1970年代後半にはドラマ『西遊記』の三蔵法師役で一躍全国区の人気者に。
映画『鬼龍院花子の生涯』では体当たりの演技で女優としての評価を確立しましたが、白血病により27歳という若さで夭折しました。
その早すぎる死も、彼女を永遠の美女にしました。
- 「あの目に吸い込まれそうだった。日本人離れした透明感がある」
- 「若くして亡くなったからこそ、記憶の中で永遠に美しいまま」
大原麗子

- 誕生日|1946年11月13日
- 代表作|『時間ですよ』『男はつらいよ』『晩春(リメイク)』
すこし淋しげな美人として知られた大原麗子さんは、1970〜80年代にかけて数多くの名作ドラマ・映画で活躍しました。
柔らかい微笑みと落ち着いた声、そしてしなやかな身のこなしが印象的で、彼女の出演するシーンにはいつも品と温もりが漂っていました。
CMでの印象的なセリフ「私、淋しがりやなの…」は今も語り継がれています。
- 「あの佇まい、あの声…大人の色気ってこういうことだと思った」
- 「着物でも洋服でも様になる。とにかく品がある美しさ」
原節子

- 誕生日|1920年6月17日
- 代表作|『東京物語』『晩春』『青い山脈』
小津安二郎監督作品のミューズともいえる原節子さんは、戦後の日本にとって希望の象徴でした。
清楚で上品なルックスと、静かでありながら深みのある演技力は、まさに昭和の理想の女性像そのもの。
1963年に突如引退し、その後一切公の場に姿を現さなかったことで、より一層神秘性が増し伝説となりました。
- 「あの笑顔は昭和の女神。気品があって本当に綺麗だった」
- 「引退後の謎めいた生き方も含めて美しい。もうこういう女優はいない」
美空ひばり

- 誕生日|1937年5月29日
- 代表作|『悲しき口笛』『東京キッド』『川の流れのように(歌)』
昭和の歌姫として知られる美空ひばりさんは、実は300本以上の映画に出演した名女優でもあります。
子役時代から天才的な表現力と存在感を見せつけ、スクリーンの中ではキュートで堂々とした輝きを放ちました。
少女らしさと強さ、両方を持ち合わせた彼女の美しさは、時代を超えて愛され続けています。
- 「歌う姿も演じる姿も、本当に美しい。表情がいちいち完璧だった」
- 「現代アイドルにはない貫禄と愛嬌があった。まさに国民的スター」
京マチ子

- 誕生日|1924年3月25日
- 代表作|『羅生門』『雨月物語』『鍵』
日本映画を世界に知らしめた『羅生門』での圧倒的な存在感、その中心にいたのが京マチ子さんです。
彫りの深い顔立ちと妖艶な目元、そして抜群のプロポーションは和製マリリン・モンローとも称され、東宝・大映のトップ女優として一時代を築きました。
和装の美しさはもちろん、洋装でもその美貌は際立ちました。
- 「妖艶さと芸術性のバランスが絶妙。見とれるってこういうこと」
- 「どんな役を演じても“美”が溢れてた。まさにスクリーンの女王」
高峰秀子

- 誕生日|1924年3月27日
- 代表作|『二十四の瞳』『浮雲』『カルメン故郷に帰る』
子役時代から大人の名女優へとステップアップし、日本映画界の頂点を極めた高峰秀子さん。
柔らかい微笑みと知性に満ちた瞳が印象的で、心に残る演技を数多く残しました。
文才にも恵まれており、エッセイや随筆も評価が高く、その人柄や考え方にも憧れるファンが多い存在です。
- 「笑顔の奥にある影や知性がたまらなく魅力的だった」
- 「女優としても、文筆家としても完璧。憧れという言葉がぴったり」
まとめ
昭和という時代には、ただ綺麗というだけでなく、人生や時代を映すような美しさを持つ芸能人たちがいました。
彼女たちの姿には、現在の私たちが忘れかけている品格や奥ゆかしさ、そして圧倒的な存在感が詰まっています。
亡くなられてもなお、スクリーンや音源の中で生き続けるその美しさに、今こそもう一度触れてみませんか?
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