世界最小の独立国家「バチカン市国」、ローマの中心にありながら、実はイタリア軍ではなくスイス人の兵士が教皇を守っていることをご存じでしょうか?
カラフルな制服で観光客の目を引くスイス衛兵ですが、その存在には500年の歴史と血塗られたドラマが隠されています。
なぜ隣国でもないスイスがバチカンを守っているのか…その理由を知ると中立国スイスの意外な一面が見えてきます。
世界最小の国バチカンとスイス衛兵の存在

バチカン市国は、東京ドーム約20個分の広さしかない世界で最も小さな独立国家です。
ローマ・カトリックの総本山として、世界中の信者にとって特別な場所であり、常に巡礼者や観光客で賑わっています。
そんなバチカンの治安と教皇(ローマ法王)の身辺警護を担っているのは、スイス衛兵です。
観光客には、派手な制服を着た儀式用の兵隊と思われがちですが、実際には厳格な任務を担う精鋭部隊です。
入隊条件は非常に厳しく、スイス国籍を持つカトリック信徒・19〜30歳までの未婚男性・スイス軍で基礎訓練を修了していること、といった要件を満たさなければなりません。
つまり彼らは単なる飾りではなく、選び抜かれた精鋭が教皇を守っているのです。
なぜスイス人が?その起源はローマ劫掠にあった
なぜイタリア軍ではなく、スイス人が守っているのか?その答えは16世紀にあります。
当時のスイスは、ヨーロッパ最強の傭兵供給国と呼ばれ、戦場での勇敢さと規律の高さで評判を得ていました。
教皇クレメンス7世はその実力に期待してスイス傭兵を護衛に採用、そして1527年5月6日、ローマ劫掠が起こります。
神聖ローマ帝国軍がローマを襲撃し、市民や建物は徹底的に破壊されました。
このとき、スイス衛兵189人のうち147人が命を落としながらも、教皇をサンタンジェロ城へ避難させることに成功、この英雄的な犠牲が今日まで続く「スイス衛兵制度」の起点となりました。
現在も5月6日には、殉職者を称える宣誓式が行われ、若き衛兵が忠誠を誓います。
中立国スイスとの矛盾?
スイスは永世中立国なのに、どうして他国の軍事的警備をしているの?と、疑問に思う人も多いでしょう。
実はスイスが、永世中立国として国際的に認められたのは1815年のウィーン会議以降のことで、スイス衛兵の起源は中立化よりも前の時代にあります。
かつてスイスは数々の王侯貴族に傭兵を提供する「戦う国」だったのです。
現在のスイス衛兵は、国家としての軍事介入ではなく、伝統と信仰の象徴として存在しています。
中立国であるスイスの軍事方針と矛盾せず、むしろ歴史的な例外として世界的に認められているのです。
さらに、彼らの存在は「歴史を守る生きた象徴」としての価値も大きいです。
バチカンを訪れる信者や観光客は、500年にわたる伝統と忠誠心をその姿から感じ取ることができます。
まとめ
バチカンを守るのがスイス人であることは、一見すると不思議に思えます。
しかしその背景には、1527年のローマ劫掠で命を懸けて教皇を守った歴史的事件があります。
永世中立国となった後も、その伝統は例外として守られ、今も続いているのです。
彼らの姿は、単なる警備兵ではなく歴史と信仰を受け継ぐ守護者として、今も世界中の人々に強い印象を与えています。
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