教科書に載らない日本史最大の闇…『からゆきさん』悲しすぎる壮絶な人生とは?

「からゆきさん」という言葉を知っていますか?

学校では決して教わらなかったこの存在は、日本の近代化の裏側で国家に利用され、そして歴史から消された女性たちの物語です。

なぜ彼女たちは異国の地で過酷な運命を背負うことになったのか?そしてなぜ日本は彼女たちを見捨てたのか?

その背景には、現代にも通じる社会の歪みと、知られざる日本最大の黒歴史がありました。

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からゆきさんとは?

からゆきさん
Via|Wikipedia「サイゴン在住のからゆきさん」(公式より引用)

「からゆきさん(唐行きさん)」は、明治時代から昭和初期にかけて、主に東南アジア・東アジア・シベリア・太平洋地域・北米などに渡って働いた日本人女性たちを指す言葉です。

語源は「唐(海外)へ行く」から来ており、当初は海外出稼ぎ労働者を意味していました。

しかし1972年、山崎朋子の著書『サンダカン八番娼館』によって、からゆきさんは「海外に売られて性労働を強いられた女性たち」という文脈で広く知られるようになります。

彼女たちの多くは九州や天草、長崎、熊本などの貧困農村地帯の出身でした。

家庭の困窮、口減らし、親の借金などを理由に、斡旋業者(女衒)に売られ、「海外で働けば家族を楽にできる」という言葉に騙されるようにして渡航させられていったのです。

渡航と売春労働の実態

からゆきさんたちは、渡航の段階からすでに悲劇に巻き込まれていました。

貨物船の船底にぎゅうぎゅう詰めにされ、トイレも電気もない劣悪な環境で1か月以上を過ごすことも珍しくありませんでした。

船内では暴行や性的被害に遭うケースも多く、彼女たちは自ら汚物を身にまとい、身を守らなければならなかったという証言も残っています。

そして海外に到着すると、すぐに売春宿に引き渡されます。

彼女たちは「借金返済」という名目のもと、ほぼ無報酬で体を売る生活に追い込まれました。

ノルマは月20人以上、1日数十人の客を相手にすることもあり、稼いだ金の大半は店の取り分とし、衣装代や住居費、性病検査などの費用はすべて自腹でした。

消毒の痛みに耐えながら、歩けないほど体がボロボロになっても働かされ続け、労働の自由はなく拒否も逃走も許されない状態です。

逃げようとした者は、熱帯のジャングルでワニや猛獣に襲われ命を落とすか、再び捕まり暴力を受けるしかなかったのです。

日本政府はなぜ黙認したのか?

からゆきさんの存在は、当時の日本政府にとって都合の良いものでした。

というのも、彼女たちが海外で稼ぎ、日本へ外貨を送金することは、国家にとって大きな利益だったからです。

実際に、外交官が彼女たちの名簿を管理し、黙認どころか事実上の公認というケースもありました。

1904年に勃発した日露戦争では、からゆきさんたちが自らの稼ぎを戦費として日本に送金した記録も残っています。

中には、スパイ活動に協力していた女性すらいたのです。

しかし1910年代以降、国際社会からの人身売買に対する批判が高まると事態は一変します。

日本政府は外圧に応じて規制を始め、からゆきさんの存在は国家の恥とされ、歴史の表舞台から消されることになったのです。

彼女たちは利用され、そして捨てられました。

からゆきさんの多くは、売春制度の廃止により職を失い、帰国もできず、現地での生活を余儀なくされました。

現地の男性と結婚し、定住する女性もいれば、通訳やガイド業に転じて第2次世界大戦中に日本軍を支援した女性もいました。

一方、強制送還された者たちの多くは、国内での差別や偏見に晒され、再出発すら難しかったといいます。

世界各地に残る彼女たちの墓は、日本の方向を背にして建てられていることが多く、それは国家に捨てられた彼女たちの無念の象徴とも言われています。

まとめ

からゆきさんは、近代日本の裏側で犠牲になった女性たちの象徴です。

貧困・性搾取・人身売買、そして国家による黙認と放棄、この一連の流れは、現代においても「歴史から学ぶべき教訓」として重く響きます。

日本の歴史において決して忘れてはならない存在であり、今こそ彼女たちの声なき声に耳を傾けるべき時代なのです。

教科書が語らない黒歴史こそ、私たちが真正面から知るべき「本当の日本史」なのかもしれません…。

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