ラッキーセブンという言葉、きっと誰もが耳にしたことがあると思います。
野球観戦で7回になると風船が飛んだり、スロットマシンの大当たりが「777」だったり、私たちの日常に当たり前のように溶け込んでいる「ラッキーセブン」ですが、そもそもなぜ「7」という数字が特別扱いされ、幸運の象徴とされているのでしょうか?
今回はその由来や背景、いろんな角度から「ラッキーセブン」の秘密を探っていきます。
ラッキーセブンの始まりは野球だった?
実は、ラッキーセブンという表現が広まったのは、19世紀後半のアメリカ・プロ野球がきっかけだと言われています。
1885年ごろ、シカゴ・ホワイトストッキングスというチームの試合で、7回に打ち上げられた普通のフライが強風に乗ってホームランとなり、そのまま優勝を決めてしまったという出来事がありました。
観客や新聞はこれを「Lucky Seventh(幸運な第7回)」と呼び、このフレーズが定着、やがて「7回の攻撃には運が巡ってくる」というジンクスとして広まったのです。
日本のプロ野球でも、7回裏になるとラッキーセブンとして応援歌や風船が飛ぶ文化が定番になっていますよね、これもアメリカの野球文化を輸入したものなんです。
そもそも「7」という数字が特別な理由
野球の出来事がきっかけで、ラッキーセブンという言葉が広まったのは事実ですが、なぜ「7」が特別視されるのかには、もっと深い歴史と文化的背景があります。
① キリスト教における「7」
聖書では「神が天地万物を6日間で創造し、7日目を安息日とした」と書かれており、「7」は完成・安息・神聖さを表す数字とされてきました。
そのため「七つの大罪」や「七大天使」など、キリスト教文化には「7」にまつわる言葉が数多く存在します。
また、1週間が7日であることも、この考え方に由来しています。
世界中の人が「7日周期」で暮らしている時点で、すでに「7」は特別な数字になっているとも言えます。
② 仏教における「7」
仏教でも「7」は重要な意味を持ち。たとえば、お釈迦さまが誕生した際に「七歩」歩いたという逸話が有名です。
また、極楽浄土の荘厳さを示す「七宝」や、法要で行われる「初七日」「四十九日」なども、数字の7が深く関わっています。
輪廻転生の考え方でも「六道輪廻」を超えて悟りに至る「第七の世界」があるとされ、やはり「7」は完成や解脱を象徴する数字なのです。
③ 日本の伝統文化にある「七」
日本人にとっても「7」はなじみ深い数字です。
「七草粥」「七夕」「七福神」「虹の七色」など、私たちの生活の中に自然と「7」が登場していますよね。
特に「七福神めぐり」は、7つの神様から7つの福を授かるという縁起の良い習慣、江戸時代から庶民に広まった文化で、今でもお正月に七福神を祀る人は多いです。
こうして見ると、世界の宗教や文化を問わず、「7」は完成・調和・幸福を表す数字として扱われてきたことが分かります。
数学的にも「7」は特別?
文化や宗教だけでなく、数学的にも「7」は少し不思議な存在です。
1から10までの数字の中で、2や5で割り切れない「素数」は特別な意味を持ちやすいのですが、特に「7」は唯一「倍にしても10以下にならない数字」なんです。
たとえば、
2×2=4(10以下に収まる)
3×2=6(10以下に収まる)
4×2=8(10以下に収まる)
でも7を2倍すると「14」、一気に10を超えてしまいます。
割り切ることもできず、他の数字と少し違う浮いた存在だからこそ、「特別な数字」として認識されやすかったのかもしれませんね。
7は本当にラッキーナンバーなのか?
ここまで見てくると、「7」は特別な数字であることは間違いありません。
ただし、野球の「ラッキーセブン」にしても、統計的に「7回が一番点が入りやすい」という明確なデータがあるわけではありませんし、むしろ“そう思い込むことで運が巡ってくる”という人間の心理作用が大きいのではないか、とも言われています。
結局のところ、ラッキーセブンは「信じる人にとってラッキーになる数字」、でもそれで気持ちが前向きになれるなら、それ自体がもう幸運を引き寄せている証拠なのかもしれませんね。
まとめ
ラッキーセブンとは、もともと野球の試合で起こった幸運な出来事をきっかけに広まった言葉です。
しかし背景をたどると、キリスト教・仏教・日本の伝統文化、さらには数学やスピリチュアルの世界まで、あらゆる分野で「7」は特別扱いされてきました。
数字の「7」を目にしたときに、なんかラッキーかも…と思える気持ちこそが、実は一番の幸運を引き寄せる力なのかもしれません。
ぜひ自分の中の小さな幸運サインとして受け止めてみてくださいね。
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