もし彼女たちが今も生きていたら…そう考えるだけで胸が締め付けられます。
昭和の芸能界には、美しい容姿と確かな才能を持ちながらも、あまりにも早くこの世を去ってしまった女性たちがいました。
彼女たちは、短い人生の中で確かな輝きを残し今なお語り継がれています。
今回は「若くして亡くなってしまった昭和の女性芸能人」4人を振り返ります。
堀江しのぶ

- 出身地|愛知県
- 没年月日|1988年9月13日(23歳)
堀江しのぶさんは、1983年のクラリオンガールコンテストで注目を浴び、翌年に歌手デビュー、明るい笑顔と健康的なスタイルで人気を集めました。
しかし1987年頃から体調不良が続き、1988年春に入院、当初は「卵巣嚢腫」と発表されましたが、実際にはスキルス性胃癌でした。
本人には病名が告げられず、治療もむなしく、1988年9月13日、わずか23歳で亡くなりました。
最後の言葉は「仕事がしたい」だったと伝えられています。
- 「健康的で元気いっぱいのイメージだったから、癌だったなんて信じられなかった。」
- 「もっとバラエティやドラマで見たかったなぁ…あの笑顔が忘れられない。」
遠藤康子

- 出身地|東京都
- 没年月日|1986年3月30日(17歳)
遠藤康子さんは、中学2年でスカウトされボックスコーポレーションに所属、『花とゆめ』『オリーブ』のモデルとして大人気となり、大手企業のCMにも数多く出演していました。
さらにドラマ『スケバン刑事』にも出演し、モデルだけでなく女優としても活動、1986年にはアイドル歌手デビューの予定もあり、まさにこれから…という矢先でした。
その直前の3月30日、母が営む喫茶店で話した後「ママ、ごめんね」と言い残し店を出ると、隣のビルの屋上にイヤリングを残して自ら命を絶ちました。
わずか17歳、多忙さとプレッシャーが重くのしかかったのではないかと語られています。
- 「今の時代ならきっと守られてアイドルとして成功してたと思う。17歳って本当に早すぎるよね。」
- 「笑顔がすごく可愛くて、写真を見るだけで昭和の空気を感じる。もっと見たかったなぁ。」
夏目雅子

- 出身地|東京都
- 没年月日|1985年9月11日(27歳)
夏目雅子さんは、500人の中から選ばれて女優デビューすると、『西遊記』での三蔵法師役は伝説的で、映画『瀬戸内少年野球団』ではブルーリボン賞主演女優賞を受賞し、女優として実力も高く評価されました。
1984年には、伊集院静氏と結婚し公私ともに充実していましたが、1985年、急性骨髄性白血病を発症、懸命な闘病もむなしく、1985年9月11日、27歳という若さで帰らぬ人となります。
葬儀には多くの芸能関係者とファンが詰めかけ、その人気の高さを証明しました。今でも「昭和を代表する美人女優」として名を残しています。
- 「三蔵法師姿の夏目雅子さん、本当に美しかった。神々しいってこのことだと思う。」
- 「演技力もすごいけど、存在そのものがオーラだったよね。」
岡田有希子

- 出身地|愛知県
- 没年月日|1986年4月8日(18歳)
ユッコの愛称で親しまれた岡田有希子さんは、、1983年に『ファースト・デイト』で歌手デビュー、新人賞を総なめにし、1986年には『くちびるNetwork』が大ヒットし、清純派アイドルとして絶大な人気を誇りました。
しかし、表の華やかさとは裏腹に、多忙と心身の疲弊に追い込まれていたといいます。
1986年、ポスト松田聖子と期待されてる中、まさにこれからというタイミングで所属事務所のビルから飛び降り、わずか18歳でこの世を去りました。
部屋には遺書とされるメモが残されており、失恋や孤独が原因と噂されましたが、真相は本人のみぞ知ります。
ファンに大きな衝撃を与えましたが、ユッコは今でも昭和を代表する伝説のアイドルとして語り継がれています。
- 「ユッコの歌声はいまだに色あせない。聴くたびに胸がぎゅっとなる。」
- 「可憐さと儚さ、その全部がユッコの魅力だったんだと思う。」
まとめ
昭和という時代に咲き誇り、あまりにも早く散ってしまった女性芸能人、彼女たちの人生は短かったですが、その輝きは今も消えることなく多くの人の心に刻まれています。
「もし今も生きていたら…」そんな想像をするたびに、彼女たちの才能の大きさを改めて感じます。
芸能界の華やかさの裏には、私たちが知り得ない孤独や苦しみがあったのかもしれません。
だからこそ、彼女たちが残した歌や映像を大切にし、これからも語り継いでいくことが、私たちにできる最大の追悼なのだと思います。
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