ラーメンといえば今や国民食、チェーン店から個人店まで数えきれないほどの店舗がありますが、昭和の時代に伝説級の人気を誇ったラーメンチェーンが存在しました。
ところが、その多くは平成以降に衰退し、今の若者世代には名前すら知られていません…今回は、昭和に絶大な人気を誇ったラーメン店3つを紹介します。
くるまやラーメン

昭和のラーメン文化を語る上で欠かせないのが 「くるまやラーメン」 です。
1970年に観光バスを改造したラーメン店から始まり、屋台風の店舗スタイルから急速にチェーン展開、看板メニューはこってりとした味噌ラーメンで、当時はラーメンといえば醤油が主流だった中で、新しいブームを巻き起こしました。
ファミリー層から学生まで幅広い層に支持され、店舗に入ると威勢のいい「いらっしゃいませ!」の掛け声が響き渡り、どこか大衆食堂的な賑やかさがあったのも特徴です。
しかし、バブル崩壊後の景気低迷やラーメン専門店の多様化、外食産業の競争激化により1990年代から徐々に店舗数は減少します。
1997年には200店舗以上が一気に閉店、現在はフランチャイズ制に移行し、関東を中心に数十店舗が営業を続けていますが、当時の栄光を知る人にとっては、まさに昭和の象徴的チェーンといえるでしょう。
びっくりラーメン一番

その名の通り、びっくりするほど安かった のが、「びっくりラーメン一番」 です。
最大の特徴はなんといってもその価格、昭和の終盤から平成にかけて、ラーメン1杯180円という信じられない安さで展開し、一躍社会現象となりました。
学生やサラリーマンにとって、財布に優しい救世主のような存在であり、給料日前に腹を満たすために訪れる人も多かったといいます。
メニューもシンプルで、醤油ラーメンを中心に安さを前面に押し出した戦略でした。
しかし、あまりに価格が低すぎて利益率が取れず経営は常に不安定、大量出店によるオペレーションの乱れも重なり、2000年代に入ると急速に経営難に陥ります。
最終的には2007年に全店舗が閉店し、現在では安すぎて潰れたラーメン店として都市伝説のように語られる存在となりました。
安さに支えられたびっくりラーメン一番は、昭和から平成にかけての外食産業の勢いと同時に、無理な価格競争がいかに危険かを物語るケーススタディともいえます。
ラーメン大学

ユニークな名前で知られる 「ラーメン大学」、1979年に長野県で誕生し、当時から地元の人々に愛されてきた地域密着型のラーメンチェーンです。
長野県では、子どもの頃に家族で連れて行ってもらったという思い出を持つ人が多く、今でも世代を超えて通い続けられています。
名前だけ聞くと、ちょっと入りづらいと感じる若者もいますが、実際に行ってみると家庭的で温かみのある雰囲気です。
味噌ラーメンを中心に、ボリュームたっぷりのメニューが人気で、全国展開をしていた「くるまやラーメン」や「びっくりラーメン一番」とは異なり、ラーメン大学は地域密着型チェーンとして存続します。
現在も長野県を中心に複数店舗が営業を続けており、長野のソウルフードと呼ばれるほどの存在感を放っています。
まとめ
くるまやラーメン、びっくりラーメン一番、ラーメン大学は、まさに昭和のラーメンブームを彩った伝説的な存在です。
どれも若者世代にはほとんど馴染みがなく、名前を聞いてもピンとこないかもしれません。
しかし、当時を知る世代にとっては、家族や友人と過ごした食卓の記憶と直結する懐かしさあふれる味わいでした。
昭和の外食産業は、今の時代とは比べものにならないスピードで拡大し、時に無謀な挑戦を重ねながら進んでいきました。
これらのチェーンは消えてしまったり、規模を縮小したりしながらも、その存在は今も語り継がれています。
ラーメンという国民食の歴史を辿るうえで、決して忘れてはならない一幕といえるでしょう。
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