今でこそ学校行事の一つとして穏やかに行われる運動会ですが、昭和の時代はまるで祭りのような盛り上がりを見せていました。
令和世代から見れば、それ大丈夫だったの?と驚くような光景が、当時は当たり前のように行われていました
今回はそんな、今では考えられない昭和の運動会あるあるを紹介します。
前夜から始まる戦い「場所取り」
昭和の運動会は、前日の夜からすでに始まっていました。
まだ子どもが寝静まった深夜、親たちはこっそり学校へ向かい、レジャーシートを持って場所取りを敢行、もちろん学校が正式に許可しているわけではありません。
それでも「うちだけが遅れたら見られない」という焦りから、暗黙のルールのように広まっていきました。
注意をしても「他の人もやってますよ」と反論される始末で、もはや誰も止められない。
この前夜戦が恒例行事となり、早い家庭では徹夜で場所をキープする親までいたといいます。
平成世代でも、早朝5時から並ぶ文化は残っていましたが、深夜侵入レベルの気合いはさすがに昭和ならではで、まさに家族の威信をかけた戦いだったのです。
運動会に屋台が並ぶ!?
今では考えられませんが、昭和の運動会では屋台が立ち並ぶ光景も珍しくありませんでした。
まるで縁日のような賑わいで、運動会当日は地域の露店商が校庭の外や端に並び、近所のおじさんたちが昼間からビール片手に観戦する、そんな光景が日常だったのです。
当時は今ほど学校と地域の線引きが厳しくなく、PTAや町内会、商店街が協力して「地域全体のイベント」として運動会を支えていました。
親戚や近所の人まで集まって、会話と笑い声が絶えない。そんな温かい雰囲気に包まれていた一方で、飲みすぎて騒ぐ人や観戦中に喧嘩するおじさんも…今の時代なら確実にSNSで炎上してしまうでしょう。
それでも、あの頃の緩さと人情が、どこか懐かしく感じられるのもまた事実ですね。
ケガ続出!?「騎馬戦・棒倒し・組体操」
昭和の運動会といえば、外せないのが、「騎馬戦」「棒倒し」「組体操」の三大危険種目です。
騎馬戦は、3〜4人のチームが騎馬を組み、上に乗った生徒が相手の帽子やハチマキを奪う競技で、興奮した男子たちが体当たりし、転倒してケガをすることもしばしばでした。
棒倒しでは、敵陣の棒を倒すためにもみくちゃになりながら突進、踏まれ、掴まれ、引きずり下ろされる、そんな乱戦が繰り広げられました。
組体操では、巨大なピラミッドやタワーを作り、成功すれば歓声が沸き起こるものの、落下事故も絶えませんでした。
平成時代にも一部の学校ではこれらの競技が残っていましたが、安全面の問題から平成後期〜令和にかけて徐々に廃止、現在ではもう見ることも少なくなりました。
あの時代の子どもたちは、まさに本気の勝負を通じて、危険の中から団結や根性を学んでいたのかもしれません。
まとめ
昭和の運動会は、危険も混乱も多かったけれど、どこか温かく人と人とのつながりに満ちていました。
平成世代がかろうじて感じたその名残も、今ではすっかり姿を消しつつあります。
けれど、あの頃の熱気や笑い声は、多くの人の記憶の中で懐かしい秋の風景として生き続けているのです。
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